2018年10月02日

Cellist Composers Collection by Yutaka Hayashi

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林裕さんベルギーセルヴエ協会より招聘公演前に、地元で先ずは二回公演。行きました。
オペラ『連隊の娘 』 をチェロとピアノに編曲したセルヴエのオペラファンタジーなど、三つのオペラファンタジーをピアノの佐竹裕介さんと全開でした。
今回は、1年ほど前から公開されている
紀州徳川家16代当主徳川頼貞の2万点に及ぶ南葵文庫からの作品も新しく演奏されました。
これも世界から注目されてよいことでしよう。
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2018年09月30日

 〜今の作曲家のチェンバロ作品リサイタルを開く〜 染田真実子 東京と大阪公演 

 ストラスブール音楽院で学んだチェンバロの染田真実子さんが、ノワ・アコルデを選んでオール現代作曲家委嘱作品のリサイタルです。
いつも現代曲を入れている真実子さんは日本チェンバロ協会会員ですが、帰国後すぐに招聘されて演奏しています。
今回も近江楽堂とノワ・アコルデ音楽アートサロンで。
またサロンが結ぶいい出逢いがありました。昨年、ルツエルン国際音楽祭現代アカデミー(ピエール・ブーレーズ提唱)で招聘参加で出会った
メンバーレン・アンサンブルが選んだ作曲家桑原ゆうさんの曲を聴いてまたサロン打ち上げパーティで共感して委嘱作品が生まれました。
お二人とも初演をとても楽しみにしていて、桑原さんから平井へ「ぜひ大阪公演に行きます!」と喜んでくださっています。架け橋がまたできていました(😊)
市民社会になってもベートーヴェンもシューベルトも、ブラームスも殆ど作曲をしたら、何年も経たずにすぐにサロンやステージで演奏されていましたことを思えば、現代の作品を披露する場をすこし御譲りしてもよいのではないかと、来る物拒まずの姿勢で受け止めて、お二人の情熱に寄り添ってサポート出来る限りしたいとおもっています。
染田さんは、もちろんバロック音楽演奏も大好きですのでご安心ください。
 作曲家の方のご来場もお待ちしております。

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二つのブラームス第四番  ミュルツツシュラークの思い出 

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 9月23日29日、前者は京都市交響楽団指揮準・メルクルで、後者は日本センチュリー交響楽団で、交響曲第4番ホ短調 また9月13日同オケ(略称 JCSO  以下同じ)でブラームスピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 をガエタノ・レスピノーサ指揮 ピアノ アレクセイ・ヴィロディン で続けて聴く機会に与った。
  結論は、チャイコフスキーの交響曲を聴くよりもシンフォニーならこちらに合う傾向だと幾ら否定してもそうだと確信できる。
 京響では京都コンサートホールの3階レフトバルコニーで、爽やかな午後。  JCSO は、豊中市文化芸術センター大ホール一階右R列36番 台風前の午後。
 前者は、ヴァイオリンパートが見えなかったが、ヴィオラは5ブルト。 JCSO は4プルト。コントラバスは、7台に対して6台。
 聴く位置が、ステージに近い右上席なので、俄然迫力はある。準・メルクルのオペラの実績は素晴らしく、タンホイザーは魅惑的でした。
  上村昇氏も客演首席でおられた。低音の力強さは抜群だった。

 豊中文芸大はこの秋で丸二年を迎えて、音がよく浸透して来たように思う。
 まろやかにバランスがよくなっているようだ。 今日は、台風前のせいが大分湿度が高いようで、ティンバニーが籠って聴こえた。だが決して打音が弱いということでなく。 ホールの反響板のせいか?いやこのホールで首席ティンパニー安永氏の名演に満足しているので、湿度も関係していたのだろう。
  ホール環境はこの位にして、ブラームス名声を勝ち得て悠々自適の頃の作品。それでも聴衆に受け入れられるか心配していたというのですから繊細なブラームス。古典の旋法を取り入れ、四楽章にはバッハのカンタータやシャコンヌ、パッサカリアを取り入れているという懲りようなので受け入れられるかを杞憂していたそうだ。 
  冒頭から序奏というのがなくて、いきなり主題に引っぱりこまれる。マエストロ小泉の棒に応えて客演コンサートマスター後藤氏及び第一ヴァイオリンの弓は瑞々しく伸びやかだ。いきなり哀愁を帯びた弦が第1主題を奏でて引き込まれると同時に美麗さが弦によって心つかまれたよう。本人はこの曲を「すっぱいサクランボ」と形容していたそうで、老齢となった彼に赤くて丸くて可愛いサクランボのような恋の哀しみ、郷愁が自身に湧いていたからか。
弦の主題に次いで、やがて奏でられるトランペットなど管楽器が高らかに首席小曲さんらが危なげなく吹いて空気を変えてくれる。
ホルンもトロンボーンも健在だ。
オーボエ、フルート宮本さん 永江さん女性が活躍。質が低下したという聴衆の声があるとのことですが、そうは思いません。
 京都ではタンホイザーやグリークでホルンがもひとつだったし。ブラームスでは満足。
 そりゃ、助成金を沢山もらっていたころと環境は後退しているとはいえ、実力が衰えているのではないと思う。聴衆が少ないのは、他の要因(助成金がなくなって、宣伝サポートする大企業が一番少ないのですし)が多くをしめている。私見では、事実窮状、危機をマスコミがもっと深い取材と報道して会場へ足を運ぶように楽団でも工夫をしていくことだと思われてならない。理事会等名士の方々の人脈と叡智でもって色々新しい仕組みを作っていただきたいと切にお願いいたします。 草の根でも、中小企業経営者、病院教育機関、もちろん大手企業のメセナ事業としてお金をだすところが見つかれば、流れが変わってくるのだと思う。

素晴らしい四番ありがとうございました。ロビーでよく見かけた方と絵画の話しも交えて語りました。
 この曲を書いたブラームスの家は、ウィーンから出ているゼンメリング鉄道のミリュツツシュラーク駅降りて直ぐのところにあり彼のセカンドハウスで作曲の為の部屋で1884年から1885年に書かれたのです。
 一人で見学してお昼休みに入って待たねばならず。 時間通りきっちりと空いてフリー見学。
ブラームスのこの家では、ウィーンフィル演奏、バーンスタインが指揮する四番がテレビ画面で放映されていたのを強烈に憶えている。
蒸気機関車に乗ってウィーンへ週一くらい出稽古に通っていたようで、静かな環境で作曲に集中できた家だったのです。
  

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2018年08月28日

今日の言葉   人の傷み  砂の器  惜別 加藤剛 さん


もう6月に俳優加藤剛さんが80歳で亡くなっていたことを最近の朝日新聞「惜別」欄で知った。
やはり写真は大岡越前守 テレビの当り役のスチール写真が遺影に掲載されている。
青春期、毎週お茶の間の人気番組だったのに、お白砂の下から眺める美男越前守のかっこよさは憶えていても、毎回のさばきそのものを、しっかり見た記憶がない。
私にとって加藤剛の当たり役として印象に残るのは、大滝秀治扮する葛飾北斎の晩年を芝居化して大滝が北斎、渡邊華山が加藤剛、
歌川国芳が橋長英の三人の絵師が北斎の長屋アトリエに出入りして、北斎と娘お栄=応為の暮らしの中で3人が悩みや愚痴を吐露して、丁々発止の会話劇でした。
 武士の社会から中々抜け出すことができない華山。北斎や国芳のように町人になって絵をふんだんに描きたい。しかし幕末であっても武士の家に生まれたから、また謹厳実直だからこそ葛藤で苦しむ華山。そのキャラクターが加藤剛に適役。台詞も誇張してか、悩みの塊のような口ぶりで、いろいろと苦労されたことだったろう。
 加藤剛さんは、実の兄を戦争で失い、平和の希求を生涯においてなされてきたことを知る。家族想いでもあり、二人の息子が俳優になりたいと言った時に、その苦労を味わってきたので、いい返事はされなかったようだが、結局本人たちの意志に任せて、見守られたようだ。
自らは、いつも台詞の稽古に没頭されていた俳優生活だったとのこと。
  それから、忘れてならないのが、松本清張作「砂の器」映画での天才ピア二スト作曲家役 戦前ハンセン病である父とともに厳しい差別と偏見のために村を追い出され遍路の旅に出て育つ少年が、戦後大阪の闇市で、戸籍の編纂も混乱していた時代亡くなった人物に成り代わって音楽家となる。壮絶な貧困と社会から棄てられた過去を背負いながら音楽の才能を発揮、戦後の優秀な作曲家集団に名を馳せて、成功への階段を登っていく主人公を自作品のピアノを演奏するシーンも演じて映画史上残るものとなっています。
  今日の朝日新聞朝刊 「折々のことば」 鷲田清一 選  美智子皇后のことば 切り抜きを掲載します。

 砂の器にある戦前戦後 今なおハンセン病の方の人生は計り知れないし、私達の地域にも子ども虐待やいじめが皆無とは言えないところに暮しています。

  「読書は、人生の全てが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならないということ」

                                     皇后美智子さま

鷲田清一氏
  
  「人の思いや立場が交錯する中、複雑さにたじろぎ飲み込んだ息は、それに耐えうる知的な肺活量を鍛えもする。とくに幼児の読書は

人生の『根っこ』と想像の『翼』と『傷みを伴う愛』を育むと、皇后は20年前、インドで開かれた国際児童図書評議会世界大会でのビデオ講演で語った。」「美智子」の名で刊行された「橋をかける」から。

  このビデオ講演を私も見ました。 英語と日本語両方。 感情を押さえるというのではなく、滋味溢れてそして膨大な絵本を読まれている知性を感じさせる長い講演でした。
   
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2018年08月21日

〜「ステュクス」の女神のように〜 ヴィオラ奏者 丸山奏さんに贈る


盂蘭盆会8月16日、日本センチュリー交響楽団首席ヴィオラ奏者丸山奏さんのリサイタルを聴いた。ピアノは京都市芸術大学教授、東京藝術大学非常勤講師の砂原悟氏。



  普段コンサート終演後、ロビーへ現れる彼女は、「今度リサイタルしまあす。ヨロシクお願いシマアス〜」。まだ20代か30も前半の可愛いお嬢さんにしかみえないのですが、演奏となると「窯変」する。若い女性に豹変は似合わないので、生き物以外で例えてみるばかり。

 昨年も殆どヴィオラ曲のオリジナルだったと思いますが、今年もそうでした。イギリス作曲家ばかり集めたというのも、こだわりが強いようです。

  ヴィオラという楽器は、バロック、ロココ時代、ロマン派、近代も、ヴァイオリンソナタやソロの曲や協奏曲が沢山あっても、ヴィオラはオーケストラでもカルテットでも内声部中低音を務める楽器ですよね。バロックの黄金期J .S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第6番では、ヴァイオリンが全く登場しないでヴィオラ二本がソロパートとして対話をするように、バロックチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバとヴィオリーノという低音が活躍します。これをニコラウス・アルノンクールは、「プロレタリアートであるヴィオラが貴族のヴァイオリンを差し置いて革命を起こした」と解釈しており、とっても面白いですね。彼女はそれを意識しているかどうかはわかりませんが、いつも忙しいオーケストラ首席のシートにいながらリサイタルではヴィオラの珍曲、新曲を発掘してきたように見ております。


 さて今回丸山さんの添付プログラムを参照ください。

20世紀に入って有名なのは(浅学な私の知る限り)、ヴィオラソロを堪能して聴けるのはバルトークのヴィオラ協奏曲、別宮貞雄のヴィオラ協奏曲位、と思っていました。オリジナル曲として、ヴィオラソナタを1日のコンサートプログラムで聴くのは、関西でここ3〜4年丸山奏さんが(日本センチュリー交響楽団入団は2012年)リードしてリサイタルをしてきたからではないでしょうか。そういう私は、零細の音楽サロンをしているので、サロンのスケジュールのためにリサイタルを聴くのは昨年(ムラマツホール)に続いて二回目に過ぎないのですが、プログラムを見て、こんなにオリジナル曲が20世紀には多くなったのかと気づきます。


ボーエン(1884〜1961):ヴィオラとピアノのための狂詩曲 

ブリッジ(1879〜1941):ペンシェロ  自らヴィオラ奏者 ブリテンは弟子

               :アレグロ アパッショナート 


後半 ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976):ラクリメ  


   アーサー・ベンジャミン(1893〜1960):ヴィオラとピアノのためのソナタ  ブリテンは弟子


以下は、プログラムノートから一部引用させていただいて書きます。

前半三つは小品で、感情のうねりで時には心安らぐが、不安な暗闇や荒波の情景のようで、アンハッピー感が強いものです。
ブリテン のラクリメは、「氷のように凍てついた世界が動きだし止まった時間が少しずつ息を吹き返す。そしてマグマのようにうねりうごめき爆発する。」「絶頂を迎えて、ダウランド(1563〜1626)のリュート歌曲『流れよ、我が涙』の旋律が出る前に、マグマの煮えたぎる窯」から
放心したような少女(丸山)は、目覚めて鋭く目を見開いて空を見渡して(8月16日の演奏中の丸山奏さんのパフォーマンス)一瞬彼女に妖気が漂ったかと思うや、妖しげな蝋燭は全て消えてしまいます。

その後空気が全て変わってエリザベス朝時代の作曲家ダウランドのリュートソングがまるで子守歌かのように会場に広がり静かに終わりました。彼女に寄り添い、時にはリードしするピアニスト砂原悟氏とともに、時には、物語の語り部となり、時には主人公を演じて、聴衆を別世界へ引っぱり込む妖精なのです。


2017年9月15日(金)16日(土) 日本センチュリー交響楽団第219回定期演奏会 指揮 飯森範親さん  ヴィオラ ソロ丸山奏

 合唱 大阪センチュリー合唱団 

 ジョージア(旧グルジア)の作曲家 ギア・カンチェリ の 「ステュクス」Styx 〜ヴィオラ。混声合唱(グルジア語)と管弦楽のための〜

  で、ビオラソロを務めました。


  

  「ステュクス」とは、ギリシャ神話に登場する生死の境目を流れる大河のこと。(日本センチュリー交響楽団 2017〜2018イヤーブック 12p より)

  演奏会前のプレトークでシェフ飯森さんは、ローマバチカン大聖堂にあるミケランジェロの「最後の審判」にあるように、ソロ楽器ヴィオラが天国と地獄の狭間「ステュクス=三途の川」に立って死者を審判する役目を担っていると述べられました。ですから、ただ旋律をソロ楽器独奏、独走なのではなく、一人一人の死者と向合って、対話をしているように憂いのある表情で演奏するヴィオラは、正に神の御使いのようでした。合唱もすばらしく、中々取り上げられない曲を聴く事ができましたし、丸山奏のメルクマールとなるコンサートになることでしょう。

この年2017年初めに、丁度ドイツで開催されたアントン・ルービンシュタイン国際コンクールヴィオラ部門第2位を受賞しています。

  日本センチュリー交響楽団には、2012年入団して今年で6年、首席ヴィオラとして、センチュリージャズカルテットやオケ団員の室内楽奏者として、ソリストとして素晴らしく活躍してこられましたが、今年8月で退団するということを最近知りました。

 退団はとても寂しいことです。

   丸山奏さん、ご苦労様! これからも、いろいろなオーケストラや、国内外で、室内楽そしてソロにおいても躍進してください。
 またセンチュリー交響楽団や様々な室内楽やソロでも関西、豊中にも来てください。
  

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