2018年11月11日

11月の階梯 CD 武満徹 小澤征爾 サイトウキネンオーケストラ 

探していた CD が見つかった。丁度2018年11月9日!
    奇しくも1967年11月9日 ニューヨークフィルハーモニー創立125周年記念委嘱作品で、祝賀コンサートに
     リンカーンセンター フィルハーモニック・ホールで初演された日とは。独奏は下記 尺八 と琵琶 
         指揮は小澤征爾 ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団  が初演
  以下の 手元にあるCDは サイトウキネンオーケストラ 武満のヴィオラ協奏曲  
  PHILIPS  B TAKEMITSU VIOLA CONCERT <A STRING AROUND AUTUMN > NOBUKO IMAI 16:04
1990年8月14日15日   ベルリン シャウシュピールハウス にて 録音
@ TAKEMITSU <NOVENBER SUTEPS > 18:56 KATSUYA YOKOTA (横山 勝也)尺八  KINSHI TSURUTA (琵琶) SAITO KINEN ORCHESTRA SEIJI OZAWA  1989年 9月15日 ベルリン イエス・キリスト教会 
A TAKEMITSU <ECLIPSE >  (蝕)10:46    FOR SHAKUHACHI AND BIWA  
                 1990年8月14日15日   ベルリン シャウシュピールハウス にて AとB録音



そして、実際に聴いたのは、小澤征爾指揮1969年だったか、大阪国際フェスティバルシリーズで、旧フェスティバルホールにて
   4月16日 トロント交響楽団を引連れて凱旋公演であった。
 もちろん独奏は 尺八 横山勝也 琵琶 鶴田錦史  
    CD で聴くと この録音では、18分56秒。生演奏では、もっと長かった印象がある。 
 それはさておき、10日土曜日と今日帰宅してまた聴いた。
   武満の言葉: 2群に分けられた小編成のオーケストラは、幾重もの花弁(ペダル)として、琵琶。尺八を含んでいる。曲は
          区切りなく演奏される11の並列された段(ステップス)からなっているが、ここでもそれらの境界は相互に浸透しあい曖昧である。
 起源を持った語法と新しい音響形態が、音空間を多層にする。


  これを脳裏に入れて聴いたのではない。これを読んで音が沸き上るのではないから。今は無用。


  尺八という邦楽器は、その名手にかかれば、なんと多様で物理的にも一本で何種類の楽器を奏しているのでは?と錯覚しそうである。
”めりかり”(ポルタメント)”ゆり”奏法など変幻自在である。高音は、能の竜笛のようで、風の音や木々の摩擦音であったり、また低音は、太い水門から叩きだされたような水の弾きを表現する。というか、聴き手の想像力によって千変万化していくと言ってよいかもしれない。
  尺八の呻吟に寄り添うのか、それとも追手のように風雲急を告げる琵琶の強烈なバチさばきは、それ以上で、乾いて大樹の燃え上がる炎の音となる。
 壮大な景色や空気つまり宇宙の四元素、古代ギリシャ時代の森羅万象を形作るものとして考えられてきた(水、気、火、地)に通ずるものであろう。
  横山勝也と鶴田錦史というこの名手の独奏は、鬼気迫り、また垂直に涌き立つ元素の爆発である。
   2つの群に別れる小編成のオーケストラがに受け渡されて、一部の打楽器以外は西洋弦楽器、ハープ、木管、金管楽器が使用されておりながら平均率の西洋の音階ではなくしても、全く無機質な12音技法とは別世界に聴くものには感じられる。
 そうではない。二人の表現者が宇宙空間を拡げ、またオーケストラを駆使する武満の『「音」が「沈黙」と計り合える』コンクレートなのだ。
 ハープや木管、弦、打楽器から、突然暗闇から大伽藍が崩れおちるような不可視から可視の世界が表れるのだから。
  感動といっていいのか、西洋の旋律、リズムから生まれる感動とは全く異なるものに、胸と涙腺が刺激されてしまった。

本 CD の2番目のトラックが、尺八と琵琶だけの 「エクリプス」だが、これはノーヴェンバーステップスがニューヨークフィルから委嘱される前に書かれた作品でこれが続いて演奏されても全く自然である。深い洞察と表現力はオーケストラ付の11の階梯と遜色ない。
3番目は、今井信子のヴィオラソロとオーケストラで、邦楽楽器とは画材が違うと言ってよいだろうか?聴きこんでいないので安易にいうのは躊躇されるが、異なる材質の持つ味や匂いから来るもの手触りだろうか? より滑らかな絹のように磨かれた武満作品。 

  
この今は亡き二人を越える再演がなされない現状であるので、N響と岩城宏之指揮のノーヴェンバー・ステップス(尺八と琵琶横山と鶴田)と共に、
サイトウキネン オーケストラ 小澤征爾指揮は、素晴らしい名演だと思う。
  武満のエッセイ 「音、沈黙と測り合える程に』バッハのオルガン曲の壮大なスケールと計り合える程にこの18:56分の中に
 凝縮されていると感じた2018年11月11日であった。 
此の日の午後は、いずみホール独自企画 古楽最前線 躍動するバロック 3日目 第三回 スペイン再発見と題して、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者 ファミ・アルカイとアカデミア・デル・ピアチェーレ ガンバ二挺とバロックギター、チェンバロの編成
 で、ファミ・アルカイがオリジナルを編曲した曲が休憩もなしに奏され、中でも、ファミ・アルカイが古民謡の主題を基に変奏曲を仕上げたディフェレンシアス(変奏曲)は、日本の箏曲「六段」もこの形式によって書かれていると、鈴木淳史氏の曲目解説から発見する。
 古今東西日本独自と思っていたものが国際様式の1つであること。目からうろこである。いつも定説と言われているものを疑う。違う角度から凝視することが世紀の発見、創造につながるのだ。







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2018年10月30日

オペラ『魔笛』こそ素晴らしい演出で、高校生に!園田隆一郎×京都市交響楽団 /新国立劇場合唱団 

『魔笛」は、メルヘン+コミック+教訓的+謎の多いオペラである。太陽を司るザラストラと夜を支配する女王は、宇宙のシンボルでもある。
 いつの年の一月、ウィーンオペラ座でのそれは、全く期待はずれだった。お席はバルコニーボックスの最後列だから出血の傷みはほぼなしだったけれど。手抜きそのもの。仏教のお坊さんのような学芸会ほどの衣装。ステージは何もイメージを膨らませる演出もなしだったトラウマがあり。
だからこそ壮大メルヘンらしいセンスのよい演出のものが鑑賞したかった。 この度は、平成30年度 新国立劇場製作の高校生のためのオペラ鑑賞教室関西公演となっていて、一般席は、ロームシアター京都メインホールの4階席のみ。だから、お値段は、交響曲を聴く程度。演出・衣装も東京の一般公演と代わらないとのことなのでますますよくて青少年から本物に接して深い感動を体験して欲しい。年寄りは、天井桟敷でも全体が見えるので、十分でした。
  南アフリカ出身のウィリアム・ケントリッジの繊細で、美しいモノクロといってもよい木版やエッチング、昔のサイレント映画を想像させるセピア色の舞台画面の演出とキャサリン・メイバーグのプロジェクション技法によるコラボに目を奪われた。
  耳=音楽100%で評価する方には、そこまでしなくてもという感想を持たれたかもしれないが。
 序曲がはじまるや、銀色の☆が連続に繋がって、鳥の絵柄となって二羽が籠から解き放たれて変幻自在。天体図や望遠鏡にカメラ・オビュスキュラなど17世紀には既にあったものが透明の幕に次々と描かれて、歌手の頭部と繋がったり離れたりで見事だ。
  夜の女王のアリアには、舞台全体が宝塚のステージのような銀幕世界にもなる。

 指揮は、今年5月大阪フェスティバルホールでのロッシーニ「チェネレントラ」の園田隆一郎(このときは日本センチュリー交響楽団)。
タミー丿はテノールの鈴木准。2、3年前いずみホールでリートを聴いたときより随分😊が丸くなっておられてわからなかった。
 ザラストロは後半持たなかったのか、残念。 二幕の夜の女王アリアのコロラトゥーラも高音にすこし無理があった。
 だが最近は、佐渡オペラ今年7月「魔弾の射手』、5月の「チェネレントラ」藤原歌劇団合唱団といい、脇役の実力が高くなっていると言えばよいのだろうか?
 プログラム中、「モーツアルトのオペラは、最上級のアイスを使ったプレミアム・ソフトクリーム」飯尾洋一氏の文にあった。
  ソフトクリームがオペラの音楽でメイン。コーンが物語、或は演出・衣装等。クリームを食べて冷たくなった口内に香ばしいコーン噛んで食べる心地よさ。好い表現だ。そしてモーツアルトの四大オペラを「フィガロ」を正統派楽コメ 「コジ・ファム・トウッテ」は大人のラブコメ
 「ドン・ジョヴァンニ」は地獄のラブコメ 「魔笛」メルヘン+ラブコメ+寓話 だそう。
  見事に仕切られていま
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すね。






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2018年10月21日

思い出に残る  ヘルベルト・ブロムシュテット 91歳  マーラー『巨人』 ハイドン『ロンドン』NHK交響楽団

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忘れられないコンサートの1つ
マエストロ・ブロムシュテット指揮で  N 響定期 マーラー 交響曲第1番 ニ長調『巨人』 55’ 聴いた。
         1、ゆっくりと ひきずるように、自然音のように
         2 力強い動きで持ってしかし速過すぎずに 
         3、厳粛に悠然と、 引きずらず
         4、嵐のように速く
何を持って名演というのだろうか? 名声を勝ち得た指揮者が条件かもしれないが、聴き手と気候にも左右されるし、
心に耳に残る名演でも、自分の貧しい脳みそに入れておけるのは、これからも限られているのかもしれない。
大富豪でもない者が、誤解されやすい小さなサロンを経営してローカルに生きているので、生で満場が沸き立つ演奏を聴くのもそうそうない。
大阪でも名演奏には何度も巡り合っているが、東京となると聞く回数が絶対的に少ない。
でも人夫々だと思うと気が楽だ。
 新日本フィルハーモニーと最晩年のフランス・ブリュッヘン指揮の シューベルト「ザ・グレイト」
これは私の目からうろこ体験であった。同じ動機が延々と続くシンフォニーなので、いい加減飽いてくる印象の曲だったのが、
各楽章全て異なって聴こえてきて、別の部屋に通された感があって、色も異なり退屈などという曲ではなかったのだ!
  そう実感させてもらった名曲だった。知り合いもいて後で感想を言わずにはおられなかった。幸い楽屋口から出てきた楽団員の方と感謝でお話することができた。
  ヘルベルト・ブロムシュテット 91歳 と NHK交響 メンバーとの信頼関係もきっとそうであろう。
 マエストロの緻密な楽譜解読によって、巨人という曲が、弱音であっても細部までがくっきりと浮かび上がり、さらっと流れていくのではなくて、ピアニッシモもクレッシェントもよく聴こえて、必然的に瀑布のようなフォルテへと導かれる。いわゆる花の楽章がこの曲の最も華やかで美しい聴き所となっている。
  4楽章  何度もくりかえされるフレーズにも、全て彫刻的な彫りがあって、本当にこの曲が並大抵ではない複雑に織り込まれていく作品なのだ。 それが、何となく聴いていた私には、漸く見えてきたと思わせてもらえたのだ。 
クラリネットとオーボエ、フルートたちの鳥の鳴き声とそれを掻き消すようなトランペット、トロンボーン ホルン
金管で激しさを増す。聴く側にも、どこかで体内の血の流れが変わるときがある。4楽章で茂木氏のオーボエが会場に冴え渡ったその時を挟んで
流れが変わったようで高揚感に浸る。
  ここで漸く第一ヴァイオリンが主役だったのかと思う位に美しい旋律を奏でて、雄叫びをあげる金管を制御する。
ブロムシュテット翁は、終始ピアニッシモにまで下げながらフィナーレのトランペット、ホルン、トロンボーン、チューバ金管、木管、二台のティンパニー打楽器楽団員の音量を持続させるのにはとんでもないエネルギーがいる事を十分承知の上で、牽引する。  とにかくもこのお年で、疲れをみせない指揮ぶりで、煽るのではなく、混沌から輝かしいホルンとトランペット金管と木管、ハープ、打楽器の爆発に、ファーストヴァイオリンが慈しみ深い旋律で舞い染めたのだった。

 初めての NHKホール。2階席 C8列真中  ハイドン ニ長調 「ロンドン」 30’


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2018年10月19日

LP .CD  鑑賞会

 小山 キヨシゲ 外山雄三 .png
バッハ ブランデン ハイドン  第6朝第7昼 .png
セレーノ メンバー.png
 しばらくぶりで  鑑賞会
お食事しながらですので、鑑賞中のおしゃべり、自己紹介で、どちらが主なのかわからないほどでしたが、ノワOFF鑑賞会は初めての方が来てくださって、相互に何かの御繋がりがわかってまた盛上がりました。
 @玉村洋平さんのヴィオラ協奏曲ライヴ録音 小峰航一さん
ヴィオラのソロが瑞々しい。豊中市文化芸術センター大ホール! 批評などおこがましくするものではありませんということをお断りした上で、初演を聴かせていただいたとき、ヴイオラの旋律が美しいので、オーケストラとの、例えば木管や弦との絡み合いがヴァリエーションとしてあれば膨らみがでるのではないかとの印象を持ちました。 
  聴いた曲は、書き漏れているかもしれませんが。ざっと記憶を辿ると。
A セレーノチェンバー・オーケストラ ライヴ録音 CD   J.S. バッハ
 ブランデンブルグ協奏曲 第3番 ト長調 第4番 ト長調
  ハイドン 交響曲 第6番 『朝』ニ長調 第7番 『昼』ハ長調
 豊中市文化芸術センター 小ホール
   指揮 静間 佳佑 コンサートマスター 横山亜美 
Bグレン・グールド  J.S. バッハ ゴルトベルク協奏曲 
Cジャック・ルーシェ  同上  
   広渡 さんご持参  
日本センチュリー がシトコヴェツキー指揮 室内楽編曲 でこの曲を演奏して珠玉であったこと、トリオ盤 彼がヴァイオリン
  ヴィオラにコセ、チェロにマイスキーの CD, ジュリアン・ラクリン。ヴィオラに今井信子、マイスキー盤をここで平井持参のを聴き比べたこと。
D管弦楽のための木挽き歌 小山清茂 
 管弦楽のためのラプソディー 外山雄三  日本フィルハーモニー管弦楽団 渡辺暁雄指揮 ラプソディーは皆さんに受けました。
  8分程の曲です。海外へ日本のオケ(○響か?)が遠征旅行で持っていき、アンコールで拍手喝采だったと聞いています。
 ラテンのオケなどがマンボなどを身体を動かしダンスしながら演奏するように、日本でもかけ声もあってもよいのでは?
クラシックは西洋の形式を踏襲するだけではないという意識が生まれて書かれた作曲活動の珠玉かと思われます。
 バーンスタインのナレーションで「ピーターと狼』懐かしい。このバーンスタインの声を小さくして(Mの協力で、お遊びでそんな事ができました)私の日本語ナレーション(訳して)を再録音したことがありました。細川さん持参
日本の歌 ランパルとアイザック・スターン ランパルとヨーヨーマ etc 
     細川さん持参
武満徹 秋庭歌 旅 鶴田錦史 琵琶
   平井悦子持参
ノーヴェンバー・ステップス 岩城宏之  NHK交響楽団 
 セレーノチェンバーオーケストラ コリオラン序曲

 映画音楽 早坂文雄  七人の侍  羅生門 細川さん 等等

  オーケストラ好きで、ソロも室内楽も好きで、残したい応援したい、歯がゆい想いと感動の演奏を聴きながら
 多いに語り、笑い食べて飲んで聴いてまた飲んでまた聴いて。。。。。。
バッハ ブランデン ハイドン  第6朝第7昼 .png

参加者 12人  
初めて同志でも、皆さん和気藹々 いい時間だったのではないでしょうか? 


posted by きりん at 00:38| Comment(0) |  CD,LP,DVD 鑑賞のひととき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月05日

レオナール・フジタ  /  藤田嗣治の筆と下地から生まれた美学 

 乳白色の裸婦といえばフジタ。フジタと言えば乳白色。今年2018年没後50年ということで、もうすぐ10月中旬、京都でも大回顧展が開かれる。
そんな鳴りもの入りされると行くのが萎えてしまう。

 まず筆は面相筆。日本画や水墨画で頻繁に使われる。しかしそれを麻のキャンバスの上に描くには、大変な下地造りが必要なのだ。その作業たるや、先ずはおおよそ部屋中白い粉まみれになるだろう。 日本画のように滑やかな和紙ではない、キャンバス地の麻布は、織り目を隠してケント紙(デザインイラストをかくときなどに使われる)のようなつるつるした白い下地にするには?どうしたらできるか?
  油絵具の白、それも多分シルバーホワイト(身体には良くない)をふんだんに使わないと出来ないだろう。 それが乾いても刷毛の跡ができているから、サンドペーパーで手磨きするのか、サンドペーパー電動磨きを使ってするのか、畳二枚ぐらいになると大事だ。
  乳白色の裸婦の肌は、こうして創られたのであろう。 乳白色、3文字に過ぎないけれど、壁塗りよりも労力がいる。
 そこへ、絵師としてのフジタが、日本や中国の伝統的な筆、細長いけれども弾力性があって、息を殺して使えば、裸婦や猫、檻に入ったライオン、愛らしい女の子、ペンやインク、机の上の小物、壁のピンナップなど何でも描くことができるのだ。 江戸の絵師ではない、第二次世界大戦を挟んでフランスパリを中心に活躍した絵師フジタが小動物のさまざまな毛の面相筆で描くと、誰でもない、レオナール・フジタの芸術になるのだ。

 200号以上のキャンバスにも描いている。 京都百万遍にある旧関西日仏学館(初代館長は、ポール・クローデル。元日本駐在フランス大使でもあった。)の今はない元民間レストランの絵は壁画のように壁一面を覆い尽くしていた。春、草の上、ピンクの太い縞のドレスを着た若い女性。 ピクニック風景だった。この作品は、一時帰国して描いた作品だと訊いている。これは、乳白色の下地ではないが、明らかにフジタの女性像とすぐに判る様式となっている。
 人の背以上、日本家屋でいうと優にカモイを越えてしまう高さと幅のキャンバスに描かれたものから、手のひらに載るばかりの作品迄、フジタの作品を見た記憶から。ただ記憶のみで書く。なので間違っていたら深謝。資料を見て書きたくないのです。私の今のフジタ感が別のものになりそうなので。
 ひろしま美術館常設には「裸婦と猫」が横たわり、こちらを見ている。面相筆が裸婦の顔、首、肩、胸、腰、脚、全てをかたどり、乳白色の下地が裸婦の肌となっている。受胎告知、三王礼拝(馬小屋のキリスト誕生を祝う)十字架降下の3枚が祭壇画として描かれて続いて見ることができる。金箔が背景にびっしりと貼付けられているので、日本画といっても通用するだろう。
 面相筆と日本の金箔技術と白いつるつるのキャンバス地に描かれた眠れる裸婦、猫たちの戯れや戦いは、パリ画壇に何者も真似のできない独自の画法で度肝を抜いたのであるが、著名画家たち、人々の賞賛や驚嘆も今は想像するしかない。そんなことは描かれたフジタ絵画に、なんの揺るがせにもできない。
  晩年には、よくこどもを描いた。エッチングも多い。少女たちをシリーズで描いたフジタ。子どもが夫々大人並みに職業をもっているシリーズも本当に可愛い。
 木っ端で教会や家を作って色を塗り、おもちゃのような暖かいぬくもりの作品も見た。
  戦場の惨禍を描いた大作は、従軍絵かきとして描いたもので、戦争に加担したと戦後も浴びたその惨禍に故国を棄てた。その当時のフジタの心境を掘り起こすこと出来るのか、判らない。しかし、確かに戦場を描いて銃を持つ兵士の背後には、すでに爆弾で息絶えている兵士の姿や表情は、英霊でも英雄でもない。飢えと暑さ寒さで痛めつけられた上での戦闘死であることは、よく見れば大抵の人の心に入ってくるであろう。戦争になれば、言葉では言えない状況が空気が人を縛り付けるのだ。
 これがフジタの戦争リアリズムだったのだ。戦意高揚の絵というより、厭戦をかき立てられて迫ってきたのだ。
 フジタが80を越えて一人で天井にも壁にも描いた宗教画は、ランスにある。礼拝堂の名前は「シャペル・ド・ラ・ペ 」平和礼拝堂。
 今回資料として、ただ1つ寓然聴いて見た。初めての公開だろう。面白かった。 NHKテレビ日曜美術館で途中からで、ほぼ終わりだった。
 老境のフジタが和やかな声で「私の絵が残るとしたら、私の声も残しておきたくなったのです。(笑)」お茶目に遊びをするかのように自分と死神の二人芝居を演じている録音なのだった。「死神さん、もう少し仕事がしたいので、もうちょっと後に来てくれないかい」
  私の”ランスへの道”は遠い。その機会に恵まれるだろうか?

posted by きりん at 00:20| Comment(0) | 美の回廊 魂の回廊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする