2017年06月01日

CLARINET ONZE  これだったのだ! 時は遡り29年前。。Steve Reich← Richard Stoltzman

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 先ずは、プログラムなど写真をアップします。 
ミニマル・ミュージックの先魁作曲家、スティーヴ・ライヒの「ニューヨーク・カウンター・ポイント」が今日のメイン。この曲はグラミー賞二回受賞の名クラリネット奏者リチャード・ストルツマンさんが、ライヒに委嘱して作られたものだ。
 ザ・シンフォニーホールで、彼のリチャード・ストルツマンのプリペイドレコーディングにご本人がオンステージで演奏するというスタイルで、これを聴いたのだった。
  思い出が甦る、、、、、今日はミラクルな日であった。
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2017年05月29日

ハイドンマラソン 二年間完走。 5 /26(金) 2017年がスタート モーツアルト ホルン協奏曲第2番変ホ長調 とハイドン76番どっちがどっち?

タイトルは、便宜上、記憶が早く出てくる為に。
どっちがどっち?? モーツアルト27歳1783年に書かれたホルン協奏曲 第2番。変ホ長調 。ウィーンで活動をはじめて2年経った時の作品です。ちなみに彼は、ロイトゲープという仲の良いホルン奏者のために、計4つの協奏曲を書いています。

ただ今、ウィーンフィル元首席ソリスト ギュンター・ヘーグナーとウィーンフィル&カール・ベーム指揮。ウィーン楽友協会での録音を全4曲を聴いているところ。(1977、79 、79、80第2番が一番早く書かれたともいわれている。)第1番以外は、全て変ホ長調で書かれている。下記のハイドンの76番シンフォニーも変ホ長調で書かれているのは、偶然だとは思うが、この日のプログラム後半の始めに1782年ハイドン50歳の時に書かれたシンフォニー76番(Hob.l:76)も変ホ長調。 つまりハイドンがこの曲を書いた翌年に、ホルン協奏曲2番が出来ていたのだ。
そうこう書いてるうちに、 TV で、マリス・ヤンソンスが指揮して、ベルリンフィル  IN  キプロスのパフォス城をバックに屋外演奏会。
アンドレアス・オッテンザマー がウェーバー第一番協奏曲 もちろん暗譜で、アンコールはコンツ作曲 ウェーバーの主題によるハンガリー幻想曲 これは楽譜有りですが、すごーい!スター!パユ並み。ルックス含めて。一段と貫禄がでている。ホルン首席にベルリンのお兄さん役のシュテンファン・ドールが首席ホルンで乗ってました。 JCSO ホルン協奏曲水無瀬さんの事は、Facebookタイムラインにアップしましたので、ご覧下さいね。どっちがどっち?もどうぞあちらのお部屋でどうぞ!
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2017年05月24日

病院でこそ音楽は、飲まないお薬  病院サポーター

ささやかながら、オーケストラの病院サポートをしています。
2016年度に行われた病院コンサート活動の模様が、別紙の通り届きましたので、アップします。
 大阪母子医療センター、豊中市立病院、成人病センター、大阪国際がんセンターなどでの小編成コンサートです。新聞掲載写真も添えて。 大阪国際がんセンターへは、大阪の4つのオーケストラが持ち回りで出前演奏することが先日大きく報じられていました。大病院だけでなく、民間の病院へ拡散されることを願います。
フリーランスの音楽家の方たちへの助成も大切ですね。
 
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posted by きりん at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常発見つれづれ草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

小さな歴史 

U  さんからサロンコンサートのことでお電話。18日のカラビス初演の話題になり、彼女は関心を持ってくれていたので、ラリーが続く。
さすがにズザナ・ルージチコヴァ女史を知っていて、録音で聴いたことがあるという。でも日本多分最後に来られたのが、97年11月4日のようで、生演奏をしらない世代だ。
そして、夫のヴイクトル・カラビスのこと、作品に触れられる世界情勢ではなかったのだ。ついこの間20年前のことではあるが、ベルリンの壁崩壊、ソ連消滅して8年たっていたとしても、作曲家が海外へ出てその演奏をするのは中々だったのだ。
  Uさんに、1966年ごろ東欧やソ連との関係など浅学ながら、民主化言論の自由のうねりがあった「プラハの春」が押しつぶされた時代に作曲していたカラビスサンたちのことを想像しながら話したら、「そうだったんですね」「私の青春時代、レニングラード交響楽団など東の音楽家が,折り畳み傘を喜んで何本か買っていったという話しを聴いたことがあるわ。楽器も品質がよいものを」
「オケや指揮者が国外にでられるチャンスはあるけれど、作曲家は出ても食べられないですからね。」
「そうなんですね」「 U さんは、オタマジャクシの裏まで、背景にも興味を持ってプログラミングするのが好きだから」「はい、そうでないとコンサートできないたちで」「それぞれの個性あるコンサートに歴史もきっちりとたたんで行かれたらいいですね」「カラビスのクラリネットソナタいい演奏だったそうでよかったですね」「はい。また違う人がカラビス作品を取り上げて演奏してほしいです」
「貸しスタジオだけでない、ちいさな歴史を伝えていただけたら。それがたんぽぽの綿毛のように空を飛んで広がっていくことを」
  ちいさなヒストリー。 個人自慢ではなく。DNA が沁み込んでるのか、 JUBUNNGA  という蛾があるようで、それも JIBUNNGA を育てている方がそうみえてしまうらしい。
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2017年04月23日

ブルターニュ・ケルトの民族音楽、そしてアラン・スティーヴェル

人間の脳の記憶は、不思議だ。  モーツアルトがパリオペラ座からパントマイム的なバレー曲を依頼されて、当時の座付作曲家の曲も混在する 「レ・プティ・リアン」 を聴いた。他の作曲家の曲と異なり、コントラバスが繰り返すオスティナートはアイリッシュ、ケルトの民族楽器を模倣演奏しているなと思って聴いていた。パリオペラ座周りで大道芸をして目をつけられて、毛色が変わってると座付き作曲家、楽隊として拾われたのであれば、貧しい出稼ぎ音楽家=ブルターニュ出身者もいたのではないか? と想像した。あくまでも想像である。しかもドーヴァー海峡を渡ってアイルランドやスコットランド、イングランドから来るより、自然であろう。
そうこうするうちに、私の貧しい脳回路が、70年代後半に関西日仏会館フランス語教師(現地日本雇用された)ケルベラさんというブルターニュ出身の男性教師に「フランスには、アイヌのように民族が異なる、ブルトン語がある」こと、海洋民族の音楽があること、そしてケルトのハープや小型バグパイプやオーボエに似た二枚リード管楽器を使って、現代人にも受け入れ易いロックリズムと融合させたミュージシャングループがあると紹介されたことを一気に甦ったのだった。それが、ブルターニュ出身のアラン・スティーヴェル率いるグループだった。当時は20代後半か、30代前半であっただろう。平井悦子Facebookタイムライン参照いただきたい。  utube  に掲載すると堺にお住まいの方が、このように、自分のルーツや文化などアイデンティティーが取り戻されると人々は活気づき、連携力や生産能力、独創性も向上して、フランスで2番目に貧しい地方であったブルターニュが、現在は7番目に経済的に豊かで、学力教育文化的にも発展しているという学術発表の記録を添付していただいた。
そのブルターニュ人の目覚めに一役買ったというと語弊があるかもしれないが発端となったのが、アラン・スティーヴェル始めとする音楽の力だったというものだ。
 ケルベラさんは今どこでどうしておられるのかは、分からない。でも大きな茶褐色の目で、黒いあごひげをはやして、普段は静かに話す方だったが、理想に向って連帯する姿勢は、まっすぐな方だと思えた。そんなに親しかったわけでも、話し込めるほどフランス語を習得していたわけではないけれど行動や態度でも分かるものだから。
お元気であることを祈るばかり。

 みなさまにもアラン・スティーヴェルの音楽を聴いていただきたいと願う。哀愁を帯びたアランのヴォーカルと自ら奏でるアイリッシュハープは、現代のグランドハープのようなペダルはなさそうだが、実に繊細で美しい。彼の長髪顎髭の風貌とはことなり、指は柔らかく女性的なつま弾きで、しかも椅子なしの立ち演奏なのだ。ロック編成でキーボードやドラムスもいれて、ボンバルドといわれる小型オーボエが高音を担当。

 過激な民族主義とは異なり、従来からの偏見とヘイトスピーチやディスクリミネーションに広がろうとしている非理性、フレームアップの感情とペテン的な飛躍した論理がまかり通ろうとしていることへの警鐘であり、音楽の普遍性と共通性、共感性への希望として、パリのシャトレ座やオリンピア劇場を、そして国立パリ管弦楽団が演奏するコンサート大ホールをも満席にしたのだった。そして今のブルターニュがある。漁民、農民たちの映像が最近映っていたが、 EU 離脱という内向きではない。牡蠣など魚介は、十分流通機構が発達しているので、輸出収入増が期待出来るとのコメントがあった。昔の貧困層が多いイメージから豊かな生産力を持っていることが垣間みれた。モーツアルトがパリへ行き、パトロン探しやリクルートしていたころ、当時のブルターニュ出身の出稼ぎ音楽家たちは、もし、今を見れるとしたら何というだろうか?

https://www.wako.ac.jp/_static/page/university/images/_tz0809.1ea433436bc4ec0198e9a92d1de5ce39.pdf
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posted by きりん at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | こころ旅  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする