2017年07月27日

封印を解いて=辻邦生  ムフタール街やデカルト街界隈を『歩いた。』『この方』と。

  小説を片っ端から読むタイプではない私のわが永遠の作家辻邦生。心底に沈んだこの作家の文章から浮き上がるパリの情景やイタリアを車で疾走する彼の映像が涌き上がります。著書『永遠の書架に立ちて』。小説家 とくに古今東西の芸術家を主人公とした歴史的背景を岩盤にして、登場人物が文楽の太夫によって命が吹込まれたように動き出すように、氏の香しく流麗な文体、一枚の絵画の肖像から眺望へと私の心臓を見透かすかのようにぐいぐいと引っ張っていく「十二の肖像画」や『デルフトの眺め(眺望)』。エッセイ群、小説『安土往還記」『嵯峨野明月記』初期作品の『夏の砦』「回廊にて』は、日本の作家テーマと大きく離れているかと思えば、信長、光悦、光琳、宗達など安土桃山から江戸初期の画人、デザイナー、プロデューサーを活写する。とにかく筆をペンを置く事がない生活、自動的にペンの先から、美しい風景、歴史的人物の暗闇、見事な芸術作品や料紙に書かれた言霊に金箔尽くし。 しかし、ただ豪華なブランド志向趣味ではなくて、庶民が暮すパリの下町に自炊し、日本の平安時代にも筆は向けられていたのだ。
フランス文学者であり、旅行記、エッセイ、映画評論?エッセイ 美術評論等等。博覧強記の人であり、レイモンド・ブリッグスの絵本『さむがりやのサンタ』に狂喜し、楽しみ、書斎のとなりに大きなぬいぐるみのくまさんを収集するという”坊や”でもあり、パリソルボンヌ大学で「日本文化」の教鞭をとった学者でもありました。
書けば尽きせぬことなので、今宵はこの辺で。
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posted by きりん at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 美の回廊 魂の回廊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

ルフトパウゼ  ウィーンの風に吹かれて  

『ルフトパウゼウィーンの風に吹かれて』篠崎史紀著  
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時間がないので、簡単に紹介します。 7月20日 ザ・フェニックスホールで聴いた篠崎史紀さんの
著書を買ってしまった。
日本のコンサートマスターが書いた本は初めてで、 N響を知るというより、コンサートマスターの仕事は一体ちまたに言われるが、あいまいで、常任と客演では随分異なるが、どうなの?好奇心で手に取った。そして、この夜はソリストとしての氏の世界を聴きに来たのだから、彼の音楽観を自ら紡ぎ出しておられるのに興味が惹かれたのです。
W.サヴァリッシュ、 アシュケナージ、デュトワ、ネルロ・サンティ、そしてブーレーズの夫々の引出す音楽について、誠に的確な文章で分かり易い。 
特にピエール・ブーレーズは難解な曲を書いている作曲家として、オーケストラ指揮者としてどう評価されているのかと思ったら納得がいくお言葉で、フムフムとうなずいて読んでいます。そこまでで、次の章に移りますが、バーンスタインは、ミュージカルウェストサイドストーリー、難解ながらも歴史ミュージカルと言ってよいかオペラかというのが正解かわかりませんが、『キャンでぃード』先日の今年23年ぶりに日本で再演された「 MASS』など大衆的で20世紀最大の作曲家指揮者、ピアニスト、バーンスタインの影になって、没後2年ですが、まだどう評価されていたのか、これからどう評価されていくのか、とても気になる人なのです。そこまではブーレーズへのペン先はないのですが、音楽家として SHINOZAKI  MARO  氏がいい評価しておられて、腑に落ちたというところなのです。

 
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2017年07月25日

色鉛筆画で人物像と花 

急に小さな展覧会をすることになりました。
最寄りの駅から北へ3ッ目の駅。だが、一つカーブを曲がれば、次の駅が見えるという阪急電車の宝塚線。
それでも🚃では運べないのでお手伝いをいただいて、自分で運転。
この位のことを自分で運べることは、健康的にというか、自立性を保っていられるという証し。
銀行のロビーなので、ギャラリーとは異なる。良い点は、ずっと常駐していなくてよいこと。
遠くの方に来ていただいて、本人がいないというご本人には申し訳ないが、そこを予め断っています。
長く(3年ほど)外ではしていないので、見て下さる方も流動してきています。豊中駅を利用する方にも「暑いのでお時間があって、ちょっと気が向かれたら、見てやってください。銀行は涼しく最近は ATM 利用で中のソファは何時も座っていただけそうです。コーフィーなども用意されています。」ご負担ないように。
最終日は、早めに詰めていようと開会してから昨日つくったハガキに書いています。
 用意周到ではないけれど、出来てしまった久しぶりの個展。 サロンオーナーの顔が90%で、性格判断テストをある美術館の「抽象絵画で見る性格判断」では、第一義が外向的思考型、第2義的補助的性格が外交的感覚型で
バランスをとっているらしい。
美術館に展示の好きな絵を一つ選んで、それから割り出して、ご当地の精神分析の先生の監修です。これはその時の心理状態によっても変化すると書いておられるので当たるも八卦当たらぬも八卦。
 
  さて、『これ、色鉛筆なんですか?」展示をお手伝いいただいた方から問われた。「そうなんです。発色がよいメーカーのを使っています。水彩のように溶けるのは、好きではないので色鉛筆のみです。」「グロリオサの赤がステキですね」「ありがとうございます!」「あの女性はどなたですか?」などなど。質問がつづいて。画題を会話の中で決めていきました。

 
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posted by きりん at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月21日

コンサートマスターの休日  MARO  IN OSAKA

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  篠崎史紀さんのリサイタルを聴かせていただいた。ピアノは入江一雄さん。
 前半は、ブラームス  F.A.E. Frei aber einsam ( 自由にしかし孤独に)ソナタよりスケルツォ ハ短調
  と
有名な「雨の歌」ヴァイオリンソナタ 第一番  op.78 1878 年から1879年にかけてブラームス46歳の時に美しい避暑地 ペルチャハで書かれた。その風景を彷彿とさせる美しい旋律は、雨後の森や対岸の景色などを浄化していく。
 演奏直前に、いきなり国会議員のお名前でお祝のメッセージが読み上げられて、びっくりしたが、2曲目の雨の歌には引き込まれた。
 後半は、ミステリーツアーのように、小品演奏曲は何も書かれていない。マイクを持って楽器と弓を持ってはなされるうちに曲の簡単な解説、話術も妙で、次々と演奏されていく。
 8年留学されて鍛えられ、揺り籠となっているウィーンの土壌から生まれた奏法が、見えてくる。
氏の体験から学ばれた座右の銘であろう。「宗教と語学と人種の壁は、音楽によって垣根がなくなり、全てが乗り越えられる」この信念は、いまの国際社会だけでなく、本当は国内地域、学校などあらゆるところで相互に尊敬しあい、友愛の中で溶け込めるはずなのだ。
 「いま、この音楽の響き」を対話して、雨後の露が輝いて鳩尾に落ちることが音楽の余韻であろうと思う。 ブラームス、ヨーゼフ・ヨアヒム(ブラームスと親交深い)を歓迎するためにシューマン、彼の弟子アルバート・ディートリヒと分担して作曲したという フライ・ア−バー・アインザム (自由しかし孤独)のように。
 世俗に落ちず。天空から降るがごとし。

後半は、MARO 編曲が二曲。「チャールダッシュ」 はピアノも超超絶といってよいロマの典型的なもので、逆さにすれば MARO 。 マジャールのマにロマのロで日本とハンガリーの友好曲として篠崎さんが編曲されたもの。
 麻呂さんのラフマニノフのセレナーデ『祈り』と社会福祉協議会のHさんの電話口から聴こえる優しい声が今日の雨露だった。
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2017年07月15日

バーンスタイン2世紀を架ける「ミサ」 第55回大阪国際フェスティバル  大フィル70周年 マエストロミチヨシ 

新しい大阪国際フェスティバルホールが完成して、もう4年目になろうか?大阪のプロのオケでは一番古参の大フィル70周年7月定期公演に、レナード・バーンスタインの「 Mass」が二日間の内1日目を拝聴。
 マエストロは,関西近畿圏北陸では、京都市交響楽団音楽監督、アンサンブル金沢音楽監督を歴任、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者として70周年記念に、この大作を取り上げられた。 マエストロ井上が病から生還して、国内では23年ぶりに渾身の智恵と力を振り絞って生演奏されるとのことで、逃す事は冒涜でもある。などど大げさな言葉がついでてしまう。音楽を聴き出して半世紀。その半分以上は、門前の小僧以下の聴き方であったけれど、音楽サロンを開いて、音楽以外のお膳立ても多くなったけれど、その縛りの反動で何の縛りもない選曲コンサートは、平たくいえば、オーナーとしての勉強であり、私自身の生きる活力源であり、苦悩の渕を探検たり、生きる糧なのです。世界的にしられる彼の一面は、レニーと親しまれたように指揮者、ピアニストであり、かろうじてミュージカル「ウェストサイドストーリー」の曲を作った人といえば、通じるというアンバランス状態が正直な認知度である。しかし20世紀、21世紀の作曲家バーンスタインの作品を没後17年も経っているのだから、もっともっと演奏されてよいはずだ。
  「Mass」はローマカトリックの典礼ミサそのままを古典的にまた彼流に、そしてバーンスタインと詩人ストーヴン・シュオーツが、司祭や神へ民衆が強烈な懐疑と異議申し立てをテキストにオーケストラ、マーチングバンド、ジャズバンド、フォークギター、ダンサーバレリーナ達、少年合唱団、混声合唱団、18人を声楽ソリストとボーイズソプラノソロがステージで歌いうごめき、またあくまでも新たなる聖なる信仰を求めて発露する清濁混淆のダンスオペラである。
posted by きりん at 03:25| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート聴き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする