2020年03月24日

浪花名所図会 大坂の名所も描いていた歌川広重 

毎年送ってくるカレンダーの中で、年々貴重なのがある。
大阪商工会議所ビル内に事務所がある、公益財団法人 大阪コミュニティ財団 のカレンダーだ。
月一回ずつめくる形式で、捨てるのがもったいないほどの「大阪の至宝」がよいカラー印刷なのだ。

2019年のをご紹介しよう。

原画は歌川広重なのである。 場所は、大坂 「安立町難波屋の松」リコーダーをしている方、古楽の方なら、場所はピンと来る筈だ。

アンリュウリコーダーギャラリーさんの工房で展示ギャラリーは、この地名からつけられたから。


 Jr 天王寺、大阪メトロ谷町線天王寺駅から直ぐ、阪堺線という、昔ながらの路面電車に乗って住吉大社を過ぎた商店街があるその辺りだろうか?

広重の肉筆画を彫師、摺師の手を経て創られた版画の実物は未だ見ていないが、樹齢何百年もありそうな老松の緑と左手に見える青い茅葺き大屋根3棟の見事な構図と色合いだ。手前には物見遊山に来た人々、それも殆どが近隣の町人衆のようだ。
右から番傘を持って軽い風呂敷荷物をかついで立つ後ろ姿の男。隣には杖をつく老人。首に茶色の小袋を巻き付けて見上げている。
人一人分あけて、白い手ぬぐいで、島田髪を隠しているが、普段着か道行きの色白の女。左には、こっぽりを履いて振り袖のまだ少女のような娘を見下ろしている。娘も母を見上げて横向き。 隣には日に焼けた旅の僧侶が杖をついて和やかに松を振り返って満足気だ。
その左手の男二人連れは、より松に近づいて、何だかんだとおしゃべりが聴こえて来そうだ。そしてその左にすっかりしゃがんでる男二人。

1人は大きく口をあけ、松の上より下の奥の根っ子を見ているのだろうか。最後の左の男は右手にあごを載せて、ふむふむうなずいている。見物人はこの9人 松の添え木は、見えるだけで29本もある。黄土色の地面と緑、難波屋という大坂では、著名商人の屋敷の松を公開していたのだろうか? しかし瓦葺きではなさそうで、白い障子が松の向こうに並び、三棟が続く屋敷である。松と屋根の間を白い霞みが通り抜け、夕焼けか早朝なのか、よき空気を感じる素晴らしい版画作品だ。 主人公の松の葉が大海の波のようにうねっているが、見物人を描いた広重もきっとこの人たちにスケッチを覗きにこられて、笑って会話交わしたことでしょう。
大阪の地下鉄=今は大阪メトロ長堀橋駅構内で、10数年前だったか「浪花名所図会」がタイル壁に再現されているのをびっくりしてみた記憶がある。隠れたスポットである。近くを通る時、大阪人、そして大阪に移り住んだ方、大阪に観光に来た方が隠れた「大坂の名宝」をもっと日の当たる所へ出してみていただきたいものだ。大阪メトロ谷町線谷町4丁目下車。直ぐ NHKホールと隣接の大阪歴史博物館は、新型コロナウイルスのため、3月末の時点で会館の見通しが付かない。 大坂画壇、猿を描かせたら絶品の森狙仙の「猿」や今や世界の JAKUTYU となった伊藤若冲の珍しい水墨鶏図も全てこの博物館所蔵作品として展示されている。それがどうやら見れる確率は少なくなった。コロナウィウィルスとはマラソンのようにじっくりと時に四つに時には、そらして新旧の友と外へでたいものだ。
この松見物の人々のように。

サロンばかりにへばりついてる者を「ない時」を見計らって誘ってくださいませ。
今日の服部天竺川沿いの松並木と河岸の雪柳も中々よい取り合わせでした。寒い風でしたが松林のある幼稚園の角にはお母さんたちと子供たち。🌸はまだかいな?
安立町 難波屋の松 歌川広重.png



posted by きりん at 17:41| Comment(0) | 美の回廊 魂の回廊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

マニエ・ノワール= 一筋一筋と刻まれる長谷川潔のミクロコスモス 

狐と葡萄 長谷川潔.png
長谷川潔 版画家 @.png
長谷川潔 花 レース.png
長谷川潔 版画家 @.png


久しぶりにテレビ 日曜美術館を見たら、版画家長谷川潔作品展が紹介されていた。

藤田嗣治が昨年大回顧展が日本で大きく開催されたが、長谷川潔の大回顧展は、亡くなる年、1980年に自薦大回顧展が東京と京都で開催された。もちろん鑑賞したが、もう39年前で、久しい。

しかし、19世紀末からベルエポック時代のパリに渡り住み制作活動した日本人画家や彫刻家は多いが、フランス文化勲章やシュヴァリエ・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲賞も受賞しフランスに骨を埋めた希有な芸術家である。
 フランス国立貨幣・賞版鋳造局で葛飾北斎。藤田嗣治についで日本人画家3人目として肖像浮彫メダルの鋳造されているのである。
 知名度は、この三人の内日本ではおそらく人口に膾炙していない大芸術家である。
北斎は、一度も渡仏していないだろうが、西欧油絵を独自に取り入れたことは近年よく知られてきたが、日本画狩野派とはことなる肉筆画、木版画家としての評価は並大抵ではない。フジタは、日本画、友禅染、工芸などで使われる面相筆の技術と白と墨の黒を想起させる画法と乳白色の女性美の世界を構築して、日本画技法を”輸入”紹介したとも言える。一方長谷川はどうか?
マニエ・ノワールとは、黒の技術。フランス伝統の版画技術が廃れていたのを復活したといわれる。長谷川潔の回顧録では、色々な古い技術書を読みあさったが、肝腎のところが抜け落ちていたり道具がなかったりで苦戦したという。元はオランダで起こったと言われる。彼も初めはエッチングで線描のように描いていく技法だったので、背景は白いママだったが、イギリスの道具を使ったりして、背景を黒のグラデーションへと段々に変化して、絵のモチーフもチェス盤や独楽、円錐形や球体に柔らかい花や藁細工など変幻自在となる。
作品を見た方が早い。
ただマニエ・ノワールを丸写しに復刻したのではなく、斜めに切り込み線を入れて深みを出していく作画法は長谷川潔自身が発明したのだとご本人が書いている。
 想像を絶する孤独な作業出会ったに違いない。驚異的な芸術家なのです。本人もいう。「自分は特に東洋的だとか、西洋の何かを取り入れたとか、そういうつもりで制作して来たのではない。人がもう今の時代は影を描かないから自分も描かないのではなく自分ととことん対峙して出来るものをつくってきたのだと。


posted by きりん at 18:27| Comment(0) | 美の回廊 魂の回廊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月05日

レオナール・フジタ  /  藤田嗣治の筆と下地から生まれた美学 

 乳白色の裸婦といえばフジタ。フジタと言えば乳白色。今年2018年没後50年ということで、もうすぐ10月中旬、京都でも大回顧展が開かれる。
そんな鳴りもの入りされると行くのが萎えてしまう。

 まず筆は面相筆。日本画や水墨画で頻繁に使われる。しかしそれを麻のキャンバスの上に描くには、大変な下地造りが必要なのだ。その作業たるや、先ずはおおよそ部屋中白い粉まみれになるだろう。 日本画のように滑やかな和紙ではない、キャンバス地の麻布は、織り目を隠してケント紙(デザインイラストをかくときなどに使われる)のようなつるつるした白い下地にするには?どうしたらできるか?
  油絵具の白、それも多分シルバーホワイト(身体には良くない)をふんだんに使わないと出来ないだろう。 それが乾いても刷毛の跡ができているから、サンドペーパーで手磨きするのか、サンドペーパー電動磨きを使ってするのか、畳二枚ぐらいになると大事だ。
  乳白色の裸婦の肌は、こうして創られたのであろう。 乳白色、3文字に過ぎないけれど、壁塗りよりも労力がいる。
 そこへ、絵師としてのフジタが、日本や中国の伝統的な筆、細長いけれども弾力性があって、息を殺して使えば、裸婦や猫、檻に入ったライオン、愛らしい女の子、ペンやインク、机の上の小物、壁のピンナップなど何でも描くことができるのだ。 江戸の絵師ではない、第二次世界大戦を挟んでフランスパリを中心に活躍した絵師フジタが小動物のさまざまな毛の面相筆で描くと、誰でもない、レオナール・フジタの芸術になるのだ。

 200号以上のキャンバスにも描いている。 京都百万遍にある旧関西日仏学館(初代館長は、ポール・クローデル。元日本駐在フランス大使でもあった。)の今はない元民間レストランの絵は壁画のように壁一面を覆い尽くしていた。春、草の上、ピンクの太い縞のドレスを着た若い女性。 ピクニック風景だった。この作品は、一時帰国して描いた作品だと訊いている。これは、乳白色の下地ではないが、明らかにフジタの女性像とすぐに判る様式となっている。
 人の背以上、日本家屋でいうと優にカモイを越えてしまう高さと幅のキャンバスに描かれたものから、手のひらに載るばかりの作品迄、フジタの作品を見た記憶から。ただ記憶のみで書く。なので間違っていたら深謝。資料を見て書きたくないのです。私の今のフジタ感が別のものになりそうなので。
 ひろしま美術館常設には「裸婦と猫」が横たわり、こちらを見ている。面相筆が裸婦の顔、首、肩、胸、腰、脚、全てをかたどり、乳白色の下地が裸婦の肌となっている。受胎告知、三王礼拝(馬小屋のキリスト誕生を祝う)十字架降下の3枚が祭壇画として描かれて続いて見ることができる。金箔が背景にびっしりと貼付けられているので、日本画といっても通用するだろう。
 面相筆と日本の金箔技術と白いつるつるのキャンバス地に描かれた眠れる裸婦、猫たちの戯れや戦いは、パリ画壇に何者も真似のできない独自の画法で度肝を抜いたのであるが、著名画家たち、人々の賞賛や驚嘆も今は想像するしかない。そんなことは描かれたフジタ絵画に、なんの揺るがせにもできない。
  晩年には、よくこどもを描いた。エッチングも多い。少女たちをシリーズで描いたフジタ。子どもが夫々大人並みに職業をもっているシリーズも本当に可愛い。
 木っ端で教会や家を作って色を塗り、おもちゃのような暖かいぬくもりの作品も見た。
  戦場の惨禍を描いた大作は、従軍絵かきとして描いたもので、戦争に加担したと戦後も浴びたその惨禍に故国を棄てた。その当時のフジタの心境を掘り起こすこと出来るのか、判らない。しかし、確かに戦場を描いて銃を持つ兵士の背後には、すでに爆弾で息絶えている兵士の姿や表情は、英霊でも英雄でもない。飢えと暑さ寒さで痛めつけられた上での戦闘死であることは、よく見れば大抵の人の心に入ってくるであろう。戦争になれば、言葉では言えない状況が空気が人を縛り付けるのだ。
 これがフジタの戦争リアリズムだったのだ。戦意高揚の絵というより、厭戦をかき立てられて迫ってきたのだ。
 フジタが80を越えて一人で天井にも壁にも描いた宗教画は、ランスにある。礼拝堂の名前は「シャペル・ド・ラ・ペ 」平和礼拝堂。
 今回資料として、ただ1つ寓然聴いて見た。初めての公開だろう。面白かった。 NHKテレビ日曜美術館で途中からで、ほぼ終わりだった。
 老境のフジタが和やかな声で「私の絵が残るとしたら、私の声も残しておきたくなったのです。(笑)」お茶目に遊びをするかのように自分と死神の二人芝居を演じている録音なのだった。「死神さん、もう少し仕事がしたいので、もうちょっと後に来てくれないかい」
  私の”ランスへの道”は遠い。その機会に恵まれるだろうか?

posted by きりん at 00:20| Comment(0) | 美の回廊 魂の回廊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする