2019年03月17日

マニエ・ノワール= 一筋一筋と刻まれる長谷川潔のミクロコスモス 

狐と葡萄 長谷川潔.png
長谷川潔 版画家 @.png
長谷川潔 花 レース.png
長谷川潔 版画家 @.png


久しぶりにテレビ 日曜美術館を見たら、版画家長谷川潔作品展が紹介されていた。

藤田嗣治が昨年大回顧展が日本で大きく開催されたが、長谷川潔の大回顧展は、亡くなる年、1980年に自薦大回顧展が東京と京都で開催された。もちろん鑑賞したが、もう39年前で、久しい。

しかし、19世紀末からベルエポック時代のパリに渡り住み制作活動した日本人画家や彫刻家は多いが、フランス文化勲章やシュヴァリエ・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲賞も受賞しフランスに骨を埋めた希有な芸術家である。
 フランス国立貨幣・賞版鋳造局で葛飾北斎。藤田嗣治についで日本人画家3人目として肖像浮彫メダルの鋳造されているのである。
 知名度は、この三人の内日本ではおそらく人口に膾炙していない大芸術家である。
北斎は、一度も渡仏していないだろうが、西欧油絵を独自に取り入れたことは近年よく知られてきたが、日本画狩野派とはことなる肉筆画、木版画家としての評価は並大抵ではない。フジタは、日本画、友禅染、工芸などで使われる面相筆の技術と白と墨の黒を想起させる画法と乳白色の女性美の世界を構築して、日本画技法を”輸入”紹介したとも言える。一方長谷川はどうか?
マニエ・ノワールとは、黒の技術。フランス伝統の版画技術が廃れていたのを復活したといわれる。長谷川潔の回顧録では、色々な古い技術書を読みあさったが、肝腎のところが抜け落ちていたり道具がなかったりで苦戦したという。元はオランダで起こったと言われる。彼も初めはエッチングで線描のように描いていく技法だったので、背景は白いママだったが、イギリスの道具を使ったりして、背景を黒のグラデーションへと段々に変化して、絵のモチーフもチェス盤や独楽、円錐形や球体に柔らかい花や藁細工など変幻自在となる。
作品を見た方が早い。
ただマニエ・ノワールを丸写しに復刻したのではなく、斜めに切り込み線を入れて深みを出していく作画法は長谷川潔自身が発明したのだとご本人が書いている。
 想像を絶する孤独な作業出会ったに違いない。驚異的な芸術家なのです。本人もいう。「自分は特に東洋的だとか、西洋の何かを取り入れたとか、そういうつもりで制作して来たのではない。人がもう今の時代は影を描かないから自分も描かないのではなく自分ととことん対峙して出来るものをつくってきたのだと。


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2018年10月05日

レオナール・フジタ  /  藤田嗣治の筆と下地から生まれた美学 

 乳白色の裸婦といえばフジタ。フジタと言えば乳白色。今年2018年没後50年ということで、もうすぐ10月中旬、京都でも大回顧展が開かれる。
そんな鳴りもの入りされると行くのが萎えてしまう。

 まず筆は面相筆。日本画や水墨画で頻繁に使われる。しかしそれを麻のキャンバスの上に描くには、大変な下地造りが必要なのだ。その作業たるや、先ずはおおよそ部屋中白い粉まみれになるだろう。 日本画のように滑やかな和紙ではない、キャンバス地の麻布は、織り目を隠してケント紙(デザインイラストをかくときなどに使われる)のようなつるつるした白い下地にするには?どうしたらできるか?
  油絵具の白、それも多分シルバーホワイト(身体には良くない)をふんだんに使わないと出来ないだろう。 それが乾いても刷毛の跡ができているから、サンドペーパーで手磨きするのか、サンドペーパー電動磨きを使ってするのか、畳二枚ぐらいになると大事だ。
  乳白色の裸婦の肌は、こうして創られたのであろう。 乳白色、3文字に過ぎないけれど、壁塗りよりも労力がいる。
 そこへ、絵師としてのフジタが、日本や中国の伝統的な筆、細長いけれども弾力性があって、息を殺して使えば、裸婦や猫、檻に入ったライオン、愛らしい女の子、ペンやインク、机の上の小物、壁のピンナップなど何でも描くことができるのだ。 江戸の絵師ではない、第二次世界大戦を挟んでフランスパリを中心に活躍した絵師フジタが小動物のさまざまな毛の面相筆で描くと、誰でもない、レオナール・フジタの芸術になるのだ。

 200号以上のキャンバスにも描いている。 京都百万遍にある旧関西日仏学館(初代館長は、ポール・クローデル。元日本駐在フランス大使でもあった。)の今はない元民間レストランの絵は壁画のように壁一面を覆い尽くしていた。春、草の上、ピンクの太い縞のドレスを着た若い女性。 ピクニック風景だった。この作品は、一時帰国して描いた作品だと訊いている。これは、乳白色の下地ではないが、明らかにフジタの女性像とすぐに判る様式となっている。
 人の背以上、日本家屋でいうと優にカモイを越えてしまう高さと幅のキャンバスに描かれたものから、手のひらに載るばかりの作品迄、フジタの作品を見た記憶から。ただ記憶のみで書く。なので間違っていたら深謝。資料を見て書きたくないのです。私の今のフジタ感が別のものになりそうなので。
 ひろしま美術館常設には「裸婦と猫」が横たわり、こちらを見ている。面相筆が裸婦の顔、首、肩、胸、腰、脚、全てをかたどり、乳白色の下地が裸婦の肌となっている。受胎告知、三王礼拝(馬小屋のキリスト誕生を祝う)十字架降下の3枚が祭壇画として描かれて続いて見ることができる。金箔が背景にびっしりと貼付けられているので、日本画といっても通用するだろう。
 面相筆と日本の金箔技術と白いつるつるのキャンバス地に描かれた眠れる裸婦、猫たちの戯れや戦いは、パリ画壇に何者も真似のできない独自の画法で度肝を抜いたのであるが、著名画家たち、人々の賞賛や驚嘆も今は想像するしかない。そんなことは描かれたフジタ絵画に、なんの揺るがせにもできない。
  晩年には、よくこどもを描いた。エッチングも多い。少女たちをシリーズで描いたフジタ。子どもが夫々大人並みに職業をもっているシリーズも本当に可愛い。
 木っ端で教会や家を作って色を塗り、おもちゃのような暖かいぬくもりの作品も見た。
  戦場の惨禍を描いた大作は、従軍絵かきとして描いたもので、戦争に加担したと戦後も浴びたその惨禍に故国を棄てた。その当時のフジタの心境を掘り起こすこと出来るのか、判らない。しかし、確かに戦場を描いて銃を持つ兵士の背後には、すでに爆弾で息絶えている兵士の姿や表情は、英霊でも英雄でもない。飢えと暑さ寒さで痛めつけられた上での戦闘死であることは、よく見れば大抵の人の心に入ってくるであろう。戦争になれば、言葉では言えない状況が空気が人を縛り付けるのだ。
 これがフジタの戦争リアリズムだったのだ。戦意高揚の絵というより、厭戦をかき立てられて迫ってきたのだ。
 フジタが80を越えて一人で天井にも壁にも描いた宗教画は、ランスにある。礼拝堂の名前は「シャペル・ド・ラ・ペ 」平和礼拝堂。
 今回資料として、ただ1つ寓然聴いて見た。初めての公開だろう。面白かった。 NHKテレビ日曜美術館で途中からで、ほぼ終わりだった。
 老境のフジタが和やかな声で「私の絵が残るとしたら、私の声も残しておきたくなったのです。(笑)」お茶目に遊びをするかのように自分と死神の二人芝居を演じている録音なのだった。「死神さん、もう少し仕事がしたいので、もうちょっと後に来てくれないかい」
  私の”ランスへの道”は遠い。その機会に恵まれるだろうか?

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2017年11月10日

ノヴェンバーステップス /北斎とお栄 創造の海にて  ノヴェンバーステップス  北斎とお栄 創造の海にて 

11月9日は、ニューヨークフィルハーモニー×小澤征爾で「ノヴェンバーステップス」が楽団創立125周年記念に演奏された日。1967年。
我がアーカイヴから1969年4月16日大阪国際フェスティバルに初来日したまだ20代の小澤征爾さん率いるトロント交響楽団のプログラムが出現。 故黒田恭一氏の武満作品「ノヴェンバーステップス」への当意即妙の文章も際立っている。
タイトルは「日本の現代音楽」の中の一つとしてのこの曲。
邦楽器として琵琶と尺八を取り入れた武満は、一番泰西への憧れと一番それとの拮抗を意識したであろう中で、武満自身、「西洋の音楽は横に流れていくが、尺八は竹のように垂直に立ち上がる」という意味のことを語っています。
安易に、西欧と和の融合とかメチエの貼付けを目標にしていたのでもなかったのです。一方氏は作品演奏前の立ち会いにはドビュッシーの楽譜を手にもっていたという逸話もあります。創造のミューズを導くに、創造者は、夫々の創造の扉の側に、また入口の鍵を持っているもの。ドビュッシーは、北斎の三浦沖の大波に触発されて「ラ・メール」を生み出したことは有名。
  反対に日常、風習の違いは琵琶と尺八二人の奏者が紋付袴であっただけでステロタイプな爆笑が起こり、リハーサル前に二人のソロやカデンツァ演奏を楽団員に聴いてもらうだけの工夫を小澤氏の機知で外見の違和感を払拭。逆転成功に導かれた苦心も。もちろん曲そのものと二人の名人技によるものであるけれど。ニューヨークフィル創立125周年記念委嘱作品として本拠地でレナートバーンスタインにも「何と強い力の音楽か」と絶賛され、すぐにトロント交響と小澤で演奏と録音(メシアンのトゥランガリア交響曲とカップリングでリリース)して成功をおさめ、70年の大阪千里万博1970年を前に、氏は鉄鋼館での企画を任されて世界的に広く「TAKEMITSU」が知られることになり、 OZAWA による、その凱旋公演が大阪フェスティバルと東京文化会館で上演。その後日本国内では、サイトウキネンオケや他のオケ、小澤氏、そして存命中だった鶴田氏と横山氏との演奏は国内外で500回にも及ぶという。その後ジャズ的な奏法を取り入れて不評を買って後続の演奏がないという。しかし二人の天才名人を超える、後を継ぐ奏者が出現しないとは、このまま埋もれていくのでしょうか?
 「日本の現代音楽」は当時でも盛んであったので、この辺りを黎明期と呼ぶなら、今は何と呼ぶのか、安易に答えは見つからないでしょう。
 話しは変わりますが、昨日8日は、日本で一番高い建物という、大阪のあべのハルカスの美術館で公開中の「北斎」展を見た。大英博物館、ボストン美術館、大阪市立天王寺美術館、太田美術館などや個人所蔵が集結した作品群である。1000分の1、2000分の1秒のシャッター速度で見ると大波の波先は鋭い爪が現れたのです。天才北斎は肉眼でそれを表現したのは当然とも想い、波の音、風の音、樹の音森羅万象に強く細やかな触角を持つ作曲家とも共通します。
  余談ながら、6日から展示替えされいる娘お栄=応為のあの作品。吉原店先格子を結界にした夜の人物構成と提灯の明暗と表現力を間近で見ることができた。父の北斎自ら「お栄の美人画は自分より上手い」と言わしめたほどの才を持っていて気共同制作とわざわざ言わなくてもお栄の筆が父を助けたと想像できそう。今回は、日本画、浮世絵でありながら、シーボルト達オランダから持ち込まれる泰西画は用意にみることができ、風景には遠近法、顔や四肢には影を付けて立体感をなに食わぬ顔をして、本邦画材で、取り込み描き込む北斎・お栄という市井画家の創造神に感服したのでした。
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posted by きりん at 03:28| Comment(0) | 美の回廊 魂の回廊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする