2017年04月23日

ブルターニュ・ケルトの民族音楽、そしてアラン・スティーヴェル

人間の脳の記憶は、不思議だ。  モーツアルトがパリオペラ座からパントマイム的なバレー曲を依頼されて、当時の座付作曲家の曲も混在する 「レ・プティ・リアン」 を聴いた。他の作曲家の曲と異なり、コントラバスが繰り返すオスティナートはアイリッシュ、ケルトの民族楽器を模倣演奏しているなと思って聴いていた。パリオペラ座周りで大道芸をして目をつけられて、毛色が変わってると座付き作曲家、楽隊として拾われたのであれば、貧しい出稼ぎ音楽家=ブルターニュ出身者もいたのではないか? と想像した。あくまでも想像である。しかもドーヴァー海峡を渡ってアイルランドやスコットランド、イングランドから来るより、自然であろう。
そうこうするうちに、私の貧しい脳回路が、70年代後半に関西日仏会館フランス語教師(現地日本雇用された)ケルベラさんというブルターニュ出身の男性教師に「フランスには、アイヌのように民族が異なる、ブルトン語がある」こと、海洋民族の音楽があること、そしてケルトのハープや小型バグパイプやオーボエに似た二枚リード管楽器を使って、現代人にも受け入れ易いロックリズムと融合させたミュージシャングループがあると紹介されたことを一気に甦ったのだった。それが、ブルターニュ出身のアラン・スティーヴェル率いるグループだった。当時は20代後半か、30代前半であっただろう。平井悦子Facebookタイムライン参照いただきたい。  utube  に掲載すると堺にお住まいの方が、このように、自分のルーツや文化などアイデンティティーが取り戻されると人々は活気づき、連携力や生産能力、独創性も向上して、フランスで2番目に貧しい地方であったブルターニュが、現在は7番目に経済的に豊かで、学力教育文化的にも発展しているという学術発表の記録を添付していただいた。
そのブルターニュ人の目覚めに一役買ったというと語弊があるかもしれないが発端となったのが、アラン・スティーヴェル始めとする音楽の力だったというものだ。
 ケルベラさんは今どこでどうしておられるのかは、分からない。でも大きな茶褐色の目で、黒いあごひげをはやして、普段は静かに話す方だったが、理想に向って連帯する姿勢は、まっすぐな方だと思えた。そんなに親しかったわけでも、話し込めるほどフランス語を習得していたわけではないけれど行動や態度でも分かるものだから。
お元気であることを祈るばかり。

 みなさまにもアラン・スティーヴェルの音楽を聴いていただきたいと願う。哀愁を帯びたアランのヴォーカルと自ら奏でるアイリッシュハープは、現代のグランドハープのようなペダルはなさそうだが、実に繊細で美しい。彼の長髪顎髭の風貌とはことなり、指は柔らかく女性的なつま弾きで、しかも椅子なしの立ち演奏なのだ。ロック編成でキーボードやドラムスもいれて、ボンバルドといわれる小型オーボエが高音を担当。

 過激な民族主義とは異なり、従来からの偏見とヘイトスピーチやディスクリミネーションに広がろうとしている非理性、フレームアップの感情とペテン的な飛躍した論理がまかり通ろうとしていることへの警鐘であり、音楽の普遍性と共通性、共感性への希望として、パリのシャトレ座やオリンピア劇場を、そして国立パリ管弦楽団が演奏するコンサート大ホールをも満席にしたのだった。そして今のブルターニュがある。漁民、農民たちの映像が最近映っていたが、 EU 離脱という内向きではない。牡蠣など魚介は、十分流通機構が発達しているので、輸出収入増が期待出来るとのコメントがあった。昔の貧困層が多いイメージから豊かな生産力を持っていることが垣間みれた。モーツアルトがパリへ行き、パトロン探しやリクルートしていたころ、当時のブルターニュ出身の出稼ぎ音楽家たちは、もし、今を見れるとしたら何というだろうか?

https://www.wako.ac.jp/_static/page/university/images/_tz0809.1ea433436bc4ec0198e9a92d1de5ce39.pdf
名称未設定 2.png



posted by きりん at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | こころ旅  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月16日

  京都嵯峨野と中国の親睦性  亀山公園に歴史が   関西学院大学と 関西大学

4月14日 桂川(大堰川)を屋形船で渡って、対岸の嵯峨野へ花の散策をしました。
常寂光寺の「女の碑」と定家「小倉百人一首」編纂をした時雨亭の一部がここであることから訪れました。
その前に

嵐山の対岸にある亀山公園には、周恩来元首相ら日本と中国の間で「日中不再戦」の意を表す碑が建っています。長寿であった清水寺元管主大西良慶さんの揮毫によるもので、散策の折りには地図を見て御立ちよりされてはいかがでしょうか?その少し上、小高くなって、対岸の嵐山が見えるところに、京都商工会議所や留学生へのボランティアなどいろいろな団体が寄付をした日中友好の碑があります。 
 先日、ここに立ち寄った時に、京都仏教大学留学生と中国吉林大学で中国文学を教えている方から声をかけられました。留学生は、色白で笑顔が爽やかな甘いマスクのイケメン君で、日本に憧れて真面目で明るい青年でした。


 関西学院大学と関西大学の関西の発音が異なる事を片言漢語(はんゆう)で説明しました。 呉音の漢音の違いです。関西学院は呉音を取り入れているのです。 創立者が異なるので違いを判ってもらうだけです。

 現在もローマ字で書くと 
関西学院大学を
   Kwansei gakuin daigaku
  中国語 では
 クヮンシー シュエイン  ターシュエ  でしょうか?(カタカナで書くのも難しい)
  関西大学は
Kansai daigaku は → クヮンシー ターシュエ

となり、中国人の読み方からすると何も違いはないし、混乱し易いでしょうね。(笑)日本人でも殆どかんさいがくいん大学 → 「関学」が一番通っていますかしら。
そして「関大」 でとおりますね。学生スポーツ界では正にそうでしょうね。 
関学のばあい、クワンセイガクインと言う学生、先生も少ないとおもいますが、いかがでしょうか?
軽く「かんせいがくいんです。関学です」ですよね。くだらないようで、オリジナルも一応崩さないでと書きました次第です。(笑) 卒業生のはしっくれでした。

この学生さんも先生も関学を創立した、アメリカ人宣教師 ランバースがその後中国のベニスとして美しい古都として日本人にも親しまれて来た蘇州に蘇州大学を作って客死したことを知っておられませんでしたので紹介。
関学は今も創立125周年に、当時のアメリカ人女性学院長が友好訪問されたと聴いております。
友好大学ではないでしょうか?調べてみてくださいね
吉林大学も、25年程まえに北京より北東へ列車でいった承徳で、関学の学生に出逢いました。吉林大学で夏期休暇を過ごした帰りだそうで、当時は承徳で出会った唯一の日本人でした。
吉林大学とも友好しているようですよ。卒はしくれより。
posted by きりん at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | こころ旅  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

花づくしの三日間  嵐山 京都御室 吉野山 桂離宮 嵐山 嵯峨野 小倉山 烏丸御池 

生涯で初めての花見づくし3日間でした。 4月12日は、御室仁和寺の御室桜。桂から嵐山渡月橋、小倉山桜を眺めて嵐電車中から花見。仁和寺はつぼみ開き。夜は大阪でコンサートを聴き、
13日は12時過ぎの近鉄特急阿倍野から吉野へ。中千本、下千本満開近く。堪能。夜は8時過ぎから大阪造幣局の通り抜け。つぼみちらほらの品種あり、満開ありとばらつきました。6時過ぎの列車で吉野からの帰り40分余を造幣局の通り抜けを決行するという健脚ぶり?
今年は帝国ホテル、天満、桜ノ宮両河岸にソメイヨシノが1週間ほど遅れで満開。若者達ばかりに混じって9時〜大型屋台食堂でおでん、焼きそば、丸ごとイカ照り焼きを食べて健啖シニア2人でした。14日は、朝9時から清々しい桂離宮見学。20人程で1時間。
その後、タクシーで桂川沿いを走って、嵐山の料亭旅館で入浴、湯葉豆腐鍋と会席料理。目の前の屋形船で大堰川(桂川)船遊びで亀山公園側へ渡って散策。常寂光寺から野々宮神社へでて嵐山電鉄と地下鉄東西線烏丸御池のレストランで夕食でした。
posted by きりん at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | こころ旅  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする