2018年08月28日

今日の言葉   人の傷み  砂の器  惜別 加藤剛 さん


もう6月に俳優加藤剛さんが80歳で亡くなっていたことを最近の朝日新聞「惜別」欄で知った。
やはり写真は大岡越前守 テレビの当り役のスチール写真が遺影に掲載されている。
青春期、毎週お茶の間の人気番組だったのに、お白砂の下から眺める美男越前守のかっこよさは憶えていても、毎回のさばきそのものを、しっかり見た記憶がない。
私にとって加藤剛の当たり役として印象に残るのは、大滝秀治扮する葛飾北斎の晩年を芝居化して大滝が北斎、渡邊華山が加藤剛、
歌川国芳が橋長英の三人の絵師が北斎の長屋アトリエに出入りして、北斎と娘お栄=応為の暮らしの中で3人が悩みや愚痴を吐露して、丁々発止の会話劇でした。
 武士の社会から中々抜け出すことができない華山。北斎や国芳のように町人になって絵をふんだんに描きたい。しかし幕末であっても武士の家に生まれたから、また謹厳実直だからこそ葛藤で苦しむ華山。そのキャラクターが加藤剛に適役。台詞も誇張してか、悩みの塊のような口ぶりで、いろいろと苦労されたことだったろう。
 加藤剛さんは、実の兄を戦争で失い、平和の希求を生涯においてなされてきたことを知る。家族想いでもあり、二人の息子が俳優になりたいと言った時に、その苦労を味わってきたので、いい返事はされなかったようだが、結局本人たちの意志に任せて、見守られたようだ。
自らは、いつも台詞の稽古に没頭されていた俳優生活だったとのこと。
  それから、忘れてならないのが、松本清張作「砂の器」映画での天才ピア二スト作曲家役 戦前ハンセン病である父とともに厳しい差別と偏見のために村を追い出され遍路の旅に出て育つ少年が、戦後大阪の闇市で、戸籍の編纂も混乱していた時代亡くなった人物に成り代わって音楽家となる。壮絶な貧困と社会から棄てられた過去を背負いながら音楽の才能を発揮、戦後の優秀な作曲家集団に名を馳せて、成功への階段を登っていく主人公を自作品のピアノを演奏するシーンも演じて映画史上残るものとなっています。
  今日の朝日新聞朝刊 「折々のことば」 鷲田清一 選  美智子皇后のことば 切り抜きを掲載します。

 砂の器にある戦前戦後 今なおハンセン病の方の人生は計り知れないし、私達の地域にも子ども虐待やいじめが皆無とは言えないところに暮しています。

  「読書は、人生の全てが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならないということ」

                                     皇后美智子さま

鷲田清一氏
  
  「人の思いや立場が交錯する中、複雑さにたじろぎ飲み込んだ息は、それに耐えうる知的な肺活量を鍛えもする。とくに幼児の読書は

人生の『根っこ』と想像の『翼』と『傷みを伴う愛』を育むと、皇后は20年前、インドで開かれた国際児童図書評議会世界大会でのビデオ講演で語った。」「美智子」の名で刊行された「橋をかける」から。

  このビデオ講演を私も見ました。 英語と日本語両方。 感情を押さえるというのではなく、滋味溢れてそして膨大な絵本を読まれている知性を感じさせる長い講演でした。
   
名称未設定 加藤剛 浜田知明  惜別 朝日.png










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posted by きりん at 15:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月21日

〜「ステュクス」の女神のように〜 ヴィオラ奏者 丸山奏さんに贈る


盂蘭盆会8月16日、日本センチュリー交響楽団首席ヴィオラ奏者丸山奏さんのリサイタルを聴いた。ピアノは京都市芸術大学教授、東京藝術大学非常勤講師の砂原悟氏。



  普段コンサート終演後、ロビーへ現れる彼女は、「今度リサイタルしまあす。ヨロシクお願いシマアス〜」。まだ20代か30も前半の可愛いお嬢さんにしかみえないのですが、演奏となると「窯変」する。若い女性に豹変は似合わないので、生き物以外で例えてみるばかり。

 昨年も殆どヴィオラ曲のオリジナルだったと思いますが、今年もそうでした。イギリス作曲家ばかり集めたというのも、こだわりが強いようです。

  ヴィオラという楽器は、バロック、ロココ時代、ロマン派、近代も、ヴァイオリンソナタやソロの曲や協奏曲が沢山あっても、ヴィオラはオーケストラでもカルテットでも内声部中低音を務める楽器ですよね。バロックの黄金期J .S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第6番では、ヴァイオリンが全く登場しないでヴィオラ二本がソロパートとして対話をするように、バロックチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバとヴィオリーノという低音が活躍します。これをニコラウス・アルノンクールは、「プロレタリアートであるヴィオラが貴族のヴァイオリンを差し置いて革命を起こした」と解釈しており、とっても面白いですね。彼女はそれを意識しているかどうかはわかりませんが、いつも忙しいオーケストラ首席のシートにいながらリサイタルではヴィオラの珍曲、新曲を発掘してきたように見ております。


 さて今回丸山さんの添付プログラムを参照ください。

20世紀に入って有名なのは(浅学な私の知る限り)、ヴィオラソロを堪能して聴けるのはバルトークのヴィオラ協奏曲、別宮貞雄のヴィオラ協奏曲位、と思っていました。オリジナル曲として、ヴィオラソナタを1日のコンサートプログラムで聴くのは、関西でここ3〜4年丸山奏さんが(日本センチュリー交響楽団入団は2012年)リードしてリサイタルをしてきたからではないでしょうか。そういう私は、零細の音楽サロンをしているので、サロンのスケジュールのためにリサイタルを聴くのは昨年(ムラマツホール)に続いて二回目に過ぎないのですが、プログラムを見て、こんなにオリジナル曲が20世紀には多くなったのかと気づきます。


ボーエン(1884〜1961):ヴィオラとピアノのための狂詩曲 

ブリッジ(1879〜1941):ペンシェロ  自らヴィオラ奏者 ブリテンは弟子

               :アレグロ アパッショナート 


後半 ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976):ラクリメ  


   アーサー・ベンジャミン(1893〜1960):ヴィオラとピアノのためのソナタ  ブリテンは弟子


以下は、プログラムノートから一部引用させていただいて書きます。

前半三つは小品で、感情のうねりで時には心安らぐが、不安な暗闇や荒波の情景のようで、アンハッピー感が強いものです。
ブリテン のラクリメは、「氷のように凍てついた世界が動きだし止まった時間が少しずつ息を吹き返す。そしてマグマのようにうねりうごめき爆発する。」「絶頂を迎えて、ダウランド(1563〜1626)のリュート歌曲『流れよ、我が涙』の旋律が出る前に、マグマの煮えたぎる窯」から
放心したような少女(丸山)は、目覚めて鋭く目を見開いて空を見渡して(8月16日の演奏中の丸山奏さんのパフォーマンス)一瞬彼女に妖気が漂ったかと思うや、妖しげな蝋燭は全て消えてしまいます。

その後空気が全て変わってエリザベス朝時代の作曲家ダウランドのリュートソングがまるで子守歌かのように会場に広がり静かに終わりました。彼女に寄り添い、時にはリードしするピアニスト砂原悟氏とともに、時には、物語の語り部となり、時には主人公を演じて、聴衆を別世界へ引っぱり込む妖精なのです。


2017年9月15日(金)16日(土) 日本センチュリー交響楽団第219回定期演奏会 指揮 飯森範親さん  ヴィオラ ソロ丸山奏

 合唱 大阪センチュリー合唱団 

 ジョージア(旧グルジア)の作曲家 ギア・カンチェリ の 「ステュクス」Styx 〜ヴィオラ。混声合唱(グルジア語)と管弦楽のための〜

  で、ビオラソロを務めました。


  

  「ステュクス」とは、ギリシャ神話に登場する生死の境目を流れる大河のこと。(日本センチュリー交響楽団 2017〜2018イヤーブック 12p より)

  演奏会前のプレトークでシェフ飯森さんは、ローマバチカン大聖堂にあるミケランジェロの「最後の審判」にあるように、ソロ楽器ヴィオラが天国と地獄の狭間「ステュクス=三途の川」に立って死者を審判する役目を担っていると述べられました。ですから、ただ旋律をソロ楽器独奏、独走なのではなく、一人一人の死者と向合って、対話をしているように憂いのある表情で演奏するヴィオラは、正に神の御使いのようでした。合唱もすばらしく、中々取り上げられない曲を聴く事ができましたし、丸山奏のメルクマールとなるコンサートになることでしょう。

この年2017年初めに、丁度ドイツで開催されたアントン・ルービンシュタイン国際コンクールヴィオラ部門第2位を受賞しています。

  日本センチュリー交響楽団には、2012年入団して今年で6年、首席ヴィオラとして、センチュリージャズカルテットやオケ団員の室内楽奏者として、ソリストとして素晴らしく活躍してこられましたが、今年8月で退団するということを最近知りました。

 退団はとても寂しいことです。

   丸山奏さん、ご苦労様! これからも、いろいろなオーケストラや、国内外で、室内楽そしてソロにおいても躍進してください。
 またセンチュリー交響楽団や様々な室内楽やソロでも関西、豊中にも来てください。
  

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posted by きりん at 00:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする