2017年07月05日

もし金田一京助という国語学者がいなかったら、戦後日本語の仮名はローマ字に変えられていた?

1970年代か80年代生まれまでの方なら、ワイン色で束が三センチくらいの厚さ国語辞典のご厄介になったことだと推測しますが、その辞書の束には、必ずといっていい金田一京介の名前が書いてあったはず。
金田一京助は、盛岡生まれ、石川啄木と三つ年下で憧れの啄木と東京住まいを1年もしたことがあるが、日本語学者であり、アイヌ語の研究に費やして、アイヌ文化最高の叙事詩ユーカラを日本語に訳したことでも有名。
今朝は、家族の肖像という番組で親子三代、学者それも日本語学者となった金田一京助、春彦、秀穂たちのドキュメント再放送構成を観た。
 父への反発や、研究テーマに独自の道を切り開く経緯、家族愛などが描かれているが、なんと言ってもそれぞれの研究のユニークさと発見の素晴らしさだ。 
戦後 GHQアメリカ占領軍は、「日本語の複雑さが、民主的な国作りの妨げになる」などと、とんでもないへ理屈をつけて仮名文字をローマ字表記にせよとの通達があった。これに対して、金田一京助は、そうではなく、かなのふり方を発音通りにするという提案をして、現代仮名づかい、漢字も旧漢字から当用漢字を作って限定使用としたことである。ローマ字表記になっていたら、古典を読むのが今よりももっと困難になり、日本文化の混乱と崩壊を招くことになっていたに違いない。
 親が学者だからといって学者を継がないといけない職業ではない。たまたま学者が続いても研究がそのまま継承する専門とは限らない。家族ぐるみで継承しないと家や芸や技術が伝承されない、成り立たないという歌舞伎など古典芸能、和菓子、呉服、織物染物などとは異なるのに、三代も続いていることが驚異である。しかし、その一家族だけの問題ではないという認識がこの番組で分かったのでみなさんにも広めたい、再放送があれば是非観ていただきたい。既に音楽大学でも教養科目としてもあるでしょうが、若い音楽家、声楽家、作曲家の方々に多いに興味を持たれるにちがいない。金田一京助、春彦の日本語研究が、日本人の日常にも実は大変な関係があった学者なのだと、今更ながら驚嘆する番組だった。
春彦は、音楽が好きで本居長世(本居宣長の家系で作曲家)に教えを請い、作曲家になりたかったが、その才がない事を悟り、父が未踏の日本語発音の研究をはじめたのが戦前だった。日本各地での現地調査とは、住民にひとつ一つ言葉を発してもらって、地道に統計をとる作業である。 例えば、山、犬、色 の類は、 二音目の音が上がるのは、東京首都圏。
また山の二音目が下がると必ず、犬も色も下がるグループが関西近畿圏がそうであることが、はっきりした現象であると今も定説になっているのだ。このような分類は、そう簡単にできるものではない。しかし言語を科学として体系を作っていくことが言葉と民族に取ってすごく大事なことなのだということを噛み締めておく必要があるだろう。決して狭い意味での政治に利用されることがないように。
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posted by きりん at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常発見つれづれ草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする