2017年06月17日

シトコヴェツキの二日間  レッド・ヴァイオリン』& 『ゴルトベルク変奏曲』

 6月の半ば、空梅雨の大阪、ザ・シンフォニー・ホールでの JCSO第217回定期を金と土曜日二日間聴きました。
 ディミトリー・シトコヴェツキ指揮とヴァイオリン弾き振りというそれだけでも興味深いことだが、それ以前に
彼はJ.S.バッハのチェンバロのための『ゴルトベルク変奏曲』を弦楽トリオに編曲して、友人のジェラール・コセ(ヴィオラ)ミッシャ・マイスキー(チェロ)との演奏を CD化している素晴らしい音楽家なのだから。1984年11月にバンベルクにて録音した CDを所有していたMに感謝しつつ、これはもうチェンバロ曲を編曲しただけのものではなく、弦楽トリオとしての完成された別の曲だという思いと演奏そのものに魅せられていて、先日友人と聴き合い会をして、みなさん一致した体験を共有していたのでした。幸い二日間の都合ができました。後半メインのシューマン交響曲第2番の前に、20世紀現代作曲家 J.コリリアーノの『レッド・ヴァイオリン』とJ.アダムスのミニマル・ミュージック管弦楽のためのフォックストロット「議長は踊る」という題名を見ただけでも、好奇心がむくむくともたげるプログラムなので、夫々友人やお世話になっているドイツ語の先生とご一緒しました。
アダムス(1947〜)のフォックストロットは、ラグタイムをルーツに持つ社交ダンスの一つだそうだが、スネアドラムや、太鼓などのパーカッション群に、ピアノにハープに弦楽セクションが、シンプルな音の刻みで始まるものの、すぐに複雑に変拍子となって、美しい弦楽の旋律が音の刻みを縫い取っていき、ピアノが印象的な打弦で裂け目を作っていくような展開。題名にある議長とは毛沢東のことで、中盤に夫人で女優であった江青をイメージする妖艶なメロディーが現れるのは、突然訪中を果たしたニクソンと毛沢東中国政府要人たちの宴会に彼女が押し掛けるという設定なのだそうだ。細かく刻まれる打楽器の背後に時折激しく響くピアノは、ニクソン自身を表し、自身が弾いているのだ。 最後は、弦が演奏をやめ、ピアノとパーカッションだけになって静かな緊張感とコミックなサンドペーパーのようなこすり合わせの擬音で終わる。
 弾き振りのための指揮台終いで一旦引けて、ヴァイオリンを置くための台と指揮のための譜面台が用意されて、シトコヴェツキの登場。コリリアーノ(1938〜)は、ミニマル・ミュージックとは全くことなる手法で、伝統的な和音進行をロマンティックなメロディーで印象的に弦楽合奏が広がる。。。。。初番からチェロの人を惹き付ける叙情的なソロが奏でられてソリストヴァイオリンがそれに応えるように静かに登場。弦楽合奏の美しい静かなさざ波が広がってハープや打楽器が織りなす展開。映画を見ている方には、ヴァイオリンの数奇な運命が映像化していくのでしょう。独奏ヴァイオリンとコンサートマスターのヴァイオリンとも細い絹糸のような響きの中で対話して終わるのですが、聴いている中で、世の常の垢が埃が流れ落ちて浄化されていくようでした。
なんという制御された弓使いでしょうか?響きが消えても、すぐには拍手ができない法悦に浸っておりました。
 休憩があって、後半は、シューマンの第2番交響曲。ファンタジックな主旋律が一楽章から浮かび上がり、4楽章では、終始堂々とした高貴な旋律と管弦打全てが、高揚感で充満してコーダへと導かれます。
一件とらえどころのないこのシンフォニーをどう料理するかと思っていたら、シトコヴェツキーは、楽譜全てにボーイング指示をつけて送られてきたそうです。いずみホールでの3年前の四季コンサートで、ゴルトベルク変奏曲の弦楽合奏版をセンチュリーと成功した信頼感が楽団員にも今も健在で、全てのプログラムは、シトコヴェツキーの自家薬籠中にあったと言えるでしょう。

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シトコヴェツキー トリオ版、ジェラール・コセ、ミッシャ・マイスキー.png
シトコヴェツキー トリオ版、ジェラール・コセ、ミッシャ・マイスキー.png
posted by きりん at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | コンサート聴き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする