エッゲンベルク城 大坂図屏風 パンフレット表 裏表紙 

エッゲンベルク城 大坂図屏風 パンフレット 表と裏表紙 
エッゲンベルク城 インドの間 埋め込まれた大阪図屏風.png
エッゲンベルク城 インドの間 埋め込まれた大阪図屏風.png
エッゲンベルク城大坂図屏風.png
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世紀の発見 「大坂図屏風」オーストリア第2の都市グラーツ郊外 エッゲンベルク城  その(1)

2012年6月 ウィーン メイトリンク( Wien Meidling )から 列車で約1時間半。オーストリア第2の都市
グラーツ(Graz)  へ。それから市電で約20分。エッゲンベルク城( Schloss Eggenberg  今は美術館)へ。
 普通のツアーではなく、個人的に行く、私のこだわり旅の上位ランクです!
 大坂夏の陣により豊臣が滅んだ後に、太閤信奉者あるいは大坂の豪商人などが密かに描かせたのではないかと現在の研究者で推測されている魅惑の屏風を実物を見に行った。
 どうして、それが、オーストリアのエッゲンベルクという貴族の城にあるのか?それはひとまずおいて。

 それ以前に現代の大阪市とグラーツ市では、平和友好として、『大坂図屏風』の中央には秀吉時代の最初の大坂城が描かれていることから、お城とお城の友好をも込めてでしょう、当時の平松市長とオーストリアの副大統領が大阪で調印式をとり行ったと記憶しております。詳細は、お調べくださいね。

当時、オーストリア大使は女性で、ディッタ・バステルさんというとても気さくなグラーツ出身の方でしたから、そのことにも触れて、あるレセプションで、直接お話したことがあります。

 2012年に行った時のパンフレットの表と裏表紙を掲載します。

 屏風の中の人物像や透視図法的には、狩野派や等伯などとはことなり、やや自由奔放な形式で素朴画とも言えます。しかし、秀吉と茶々かねねとも思われる城主や家来、外からとれとれのアワビなどを献上する商人、それは秀吉が町づくりをした船場の情景らしき活気を感じさせます。
  それから何と言ってもすごいのは、金箔を惜しげもなく、分厚く盛り上げていることです。
 現在の大阪城は、昭和に市民の寄付で建てられた鉄筋コンクリートで、名前は同じ橋がかかっていますが屋根等ありません。しかしこの絵では、
当時の極楽橋は漆塗り、牡丹などの素晴らしい木彫が施された絢爛豪華な破風屋根付でした。他に大坂名所として住吉大社とお祭り行列、四天王寺伽藍に宇治の平等院、岩清水八幡宮、醍醐寺(太閤の醍醐の花見は有名)まで描かれているのです。

 それが、こともあろうに、8枚仕立ての屏風が、1枚ずつ取り外されて、エッゲンベルク城「インドの間」(当時からつい最近まで、東洋オリエントは中近東、インド、中国、ジパングは一からげで、その部屋には、中国チャイニーズの絵の間)の壁に埋め込まれているのです。
 これを発見研究を進めた方は、 NHKで何度か紹介されているミュンヘンの女性学者の方です。関西大学の研究者の方とも共同研究や、協力されたとのことです。

 一枚の屏風の間に他の絵が壁に描かれてあるので、4枚づつの屏風の絵を想像するのは難しい。
  それで一枚につなぎ合わされたパンフレットを見て、解説を聴きました。
 もう事前に大阪城で図録も買っていたので、いきさつについては、理解済みでした。
  この城主は、景徳鎮や古伊万里も素晴らしいコレクションをしており、以下に東アジア中国や日本に憧れていたかが分かります。また部屋を365日 塔を4つ(四季)〇〇を7つ〇〇を12と随分こだわって建設されているのがすごい。
 最上屋の大広間は鏡の間で、舞踏会やコンサートを開いているとのこと。
ドイツ語と英語の時間によって来館者が別れるのですが、私と旅友とは時間がないというと英語でも解説してもらえました。

 




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